エッセイを本にまとめる(6)

初校を赤字で真っ赤にして戻したことは、「エッセイを本にまとめる(4)」でお伝えしました。その後、二校に続き三校があがってきました。これで校正は最後。戻すのは1週間後です。ひとつひとつじっくり読み直しました。

まだ気になる箇所があります。読んでいるうちに、だんだん、そしてどんどん、直したくなってきます。その作品自体を書き直すというのではありません。全体には影響のない、微々たる修正をしたくなるのです。たとえば、以下のような箇所です。

そのことをエッセイに書こうと思いたった。
修正後:→それを題材にしてエッセイを書こうと思いたった。
修正理由:このほうが、そのときの気持ちをより正しく表現しているのではないか。

・当時書かれたメモと一緒に入っている。
修正後:当時メモと一緒に入っている。
修正理由:ここはもっと簡潔に話を進めたほうがいいのではないか。

・きちんと仕組みが整っていて感心する
修正後:きちんと仕組みが整っている。
修正理由:ここでは、自分の気持ちは不要ではないか。

本当に微々たる修正ですが、こうした赤字があちこちに入ります。入稿という期限があるので、時間の制約はありますが、その間に修正がどんどん目についてきました。

編集者Sさんにそのことをメールで告げると、
「書いたときの文章と、いま読み返すときの文章は、違って当然です。言い回しとか、言葉遣いの柔軟さとか、微妙な表現の仕方とか、使う単語とか。それをあまりトータルな視点でまとめようとすると、時系列に並べたエッセイの妙味というか、そういうものが失われてしまうような気もするのです。明らかな間違いは別ですが」
というメールが返ってきました。そして、そのメールの最後に、
書いた当初のエッセイのパワーみたいなものを信じることも必要かな、と。だって、ほんとうにキリがないですよ」
と書かれていました。

ああ、本当にそうです。書いたときの気持ち、それは、その文章に込められているはずです。そのときの言葉遣いや単語は、そのときの私が選んで遣ったものです。信じましょう。あの頃の自分を。そして作品を。

こういうやりとりも交えながら、無事に三校を戻しました。