『非色(ひしょく)』を読んで
その本を手に取ったきっかけは、知人が書いたエッセイだった。
本の整理で見つけ出した古ぼけた1冊。有吉佐和子さんが1964年に著した『非色』だ。 進駐軍の黒人兵トムと結婚した笑子(えみこ)の目を通して社会の人種差別を描いていると、本の内容を紹介し、改めて読んでみて感じたことを綴っていた。
有吉さんの名前は知ってはいたが、1冊も読んだことがない。文庫本が復刊されていると知り、読んでみた。そして驚いた。現在にも通じる話で、古さがまったくないのだ。
いや、背景は古い。いわゆる戦争花嫁の話だ。トムとの日本での結婚生活は当初は裕福で、満足していた。広い部屋に住み、軍施設の売店ではさまざまな物品が手に入る。しかし、黒人との間にできた子は好奇の目で見られ、トムから習い覚えた英語は黒人なまりで、英語の仕事もままならない。笑子は日本に見切りをつけ、帰国命令でアメリカに帰ったトムの元で暮らすことを決意する。
長い航海後にたどり着いたトムの家は、ハーレムの貧民窟の地下室。夫のわずかな稼ぎでは暮らせず、日本食レストランに勤める。そこで出会う日本女性たちも、同様の、とはいえそれぞれの問題を抱えている。人種差別は複雑で、差別される側の黒人がさらに見下す人種もある。中絶が非合法なため、子どもの数は増え、生活を圧迫する。笑子の周囲では次から次へと問題が起こる。
本に取り付かれたように411ページを一気に読んだ。多くの不条理の中で、笑子は強く生き抜こうとする。その強さに引っ張られて読み終えたようでもある。
現在も「Black Lives Matter(ブラック・ライブズ・マター)」が声高に叫ばれているように、アメリカの人種差別は今でも大きな問題だ。日本にもいろいろな差別が存在する。現代を見回してみると、『非色』に描かれた社会は依然として残っている。58年前の話はけっして古くない。
有吉さんの取材力にも驚く。20代にニューヨーク州の大学に9ヵ月間留学したそうだ。その短い間で、取材相手を探しインタビューをしたのだろうか。
私は25年前にアメリカに6年ほど住んだことがある。日本人の駐在員家族は、黒人の住むエリアは治安が悪いと言って、高い住居費を払って白人の地域に住む場合が多かった。白人から見れば、自分たちの場所に黄色人種が入り込んできたという図式だ。私の子どもが通う小学校の親のなかには、あからさまに日本人を無視する白人がわずかだが存在した。態度には出さなくても、何か否定的な気持ちをもつ人もいるだろう。こうした心の内側の感情を文章化するのは難しいと思う。だからこそ余計に、この小説に圧倒された思いが強いのかもしれない。
笑子が差別について考える場面で、次のようなくだりがある。
――人間は誰でも自分よりなんらかの形で以下のものを設定し、それによって自分をより優れていると思いたいのではないか。それでなければ落着かない、それでなければ生きて行けないのではないか――
しかし最後は、笑子はこの考えを超えて、強く1歩を踏み出す場面で終わる。
多くのことを読者に投げかける小説であった。