踏切のある生活
わが家から歩いて3分のところに踏切がある。線路の向こう側の商店やバス停を利用するときには、ここを渡る。
タイミングが悪いと、5分ほど足止めを食らう。右から急行がスピードを出して通り過ぎ、各停がゆっくり来て、もう開くかなと思っていたら、すぐ左手にある駅のホームに電車がすべり込んできて、それが発車するまで待つことになる。
電車の通過待ちを喜ぶのは、幼い子どもたち。お母さんの自転車の後ろで、お父さんに手を引かれて。なぜか、きまって男の子だ。「快速急行だ」「元町中華街行きが来た」などの声が聞こえる。「まだ見てくー」と線路わきを動かない子に、「あと1回だけよ」と言い聞かせるおばあさんらしき人も見かける。他の路線と相互乗り入れするようになって、車両の種類や行く先が増えた。漢字も読めなそうな子どもたちの好奇心と知識に感心する。本当に電車が好きなんだねと声をかけたくなる。
子どもたちの一番人気は特急ラビュー。丸みを帯びた顔がかっこいい。シルバーの車体と座席のレモンイエローのコントラストも目を引く。見かけると、私ですらうれしくなる。
「あ、ラビューだ」
男の子の弾んだ声が聞こえて、私は思わずその子のほうを見た。知らないおばさんが振り返ったことを気にして、男の子は傍らのお父さんにささやく。
「僕、大きな声、出しちゃった。ちょっと恥ずかしかった」
「お父さんもちょっと恥ずかしかったよ」
かわいい会話を耳にして、私もラビューが好きなのよと伝えたかったが、遮断機が上がってみんなが歩き出し、機会を逸してしまった。
踏切で見かけるのは、このような、なごやかなシーンだけではない。
渡り切れずに、降りてきたバーに戸惑う高齢者。自動車の場合もある。回りにいる人たちが協力して、バーを手で抑えたり、誘導したりして、事なきを得る。私が何度か見かけるのだから、日々けっこう起きているのではないかと心配する。
先日のこと、駅のすぐ脇の通路を通り、踏切を渡ってわが家へ戻ろうとしていた。駅を通過する急行が警笛を鳴らした。ファーン。ファーン。なかなか鳴りやまない。いやな予感がすると思う間もなく、ホームを通り過ぎ踏切を20メートル超えたあたりで、急ブレーキで止まった。
踏切で電車の通過を待っていた人たちは、目の前では危ないことがなかったから、ホームで何か起きたのかもと小声で話している。私はドキドキしながらしばらく電車を見ていたが、気を取り直して通路を引き返し、駅舎への階段を上って、わが家のある側に渡ることにした。
改札の横を通るとき、アナウンスが聞こえてきた。やはりホームでの人身事故だった。この駅にはホームドアがない。駅前の交番から駆け付けたに違いない警官とすれ違う。当事者はどういう思いでいたのか、その電車の運転手の気持ちは、などと考えるが、動揺するというほどでもない。こうした事故が起きた直後に遭遇したことは過去に2度ほどあり、また、事故で電車が遅れることもしばしばあって、少し鈍感になっている自分に気づく。
運転はいつの間にか再開された。踏切を渡る生活は何事もなかったように続くのだった。