生きる言葉

『生きる言葉』(俵万智著 新潮社 2025年4月)をご紹介します。

俵万智さんの本が書店で平積みされていました。俵さんといえば『サラダ記念日』を思い出します。短歌に新しさを感じさせるその本が出版されたのは1987年、ずいぶん前のことですが、いまだに思い出すほど印象的でした。
『生きる言葉』は、その俵さんが言葉について語った本です。短歌とエッセイとでは、作品に使用する言葉の数に大きな差がありますが、選んだ言葉を繋ぎ合わせて作品をつくるという点では同じです。エッセイにも通ずる何かが読み取れるのではないかと思い、手に取りました。

「いま、言葉の時代だなと思う」。
「はじめに」はこの文で始まります。現代は誰もが写真や動画を撮り、気軽に見せ合うことができる時代なのに、「言葉の時代」とはどういうことなのでしょう。
SNSの登場によって、「ごく一般の人たち」が「頻繁に、しかもなかば公に向かって、ものを書く」という時代になった。しかも、相手の顔は見えないし、お互いの背景も違う。「普通の人が普通に使う書き言葉としての日本語の、足腰を鍛えることが、よりいっそう重要になってきた」。
このことが、俵さんが「いま、言葉の時代だなと思う」という冒頭文の背景にあるようです。本書では、SNSだけでなく、俵さんが気になるさまざまな場面での言葉について、触れています。

ご自身の子育てにおいても、わが子の言葉を観察します。「『子育て』を言葉の面から定義するなら、私の場合は『まっさらな状態で生まれてきた人間が、日本語ペラペラになるまで、ずっとそばで見ていられること』だ」と書かれています。そして、子どもの成長の折々に気づいたことを詠み、その歌も本書に載っています。羨ましく思いました。私自身もそのような貴重な機会が目の前にあったのに、気づかずに忙しいだけの日々を過ごしていました。

AIにも話が及びます。短歌を詠むAIは、「上の句を入れると、数秒で数百首を出力」しますが、「結局は言葉から言葉をつむぐ作業だ。生きた人間である私たちが目指すのは、心から言葉をつむぐこと」だと言います。
エッセイも同じです。生きていくなかで、心に触れること、心が動くことがある。それを自分の言葉で綴り、エッセイという作品に仕上げる。その一連の過程が楽しくて、書いているのではないでしょうか。AIに代わりにじょうずに書いてもらっても、それはあまり意味がないように感じます。

「歌会のススメ」という項に、歌会での実際のようすが説明されていました。無記名で歌を提出し、参加者が投票し、選ばれた歌について感想や意見を述べ合います。自分の歌に票が入らないこともあるし、自分の思いをくみ取ってもらえない、それどころか、けなされることもあります。俵さんは「作品がけなされたからといって人格が否定されるわけではない」から、安心して参加してほしいと言います。
エッセイの合評もまったく同じです。合評で厳しいことを言われると、がっかりしてしまいますが、その作品の書き方について言われただけ、ただそれだけです。褒められたら、それは自分の力によるものだから喜びましょう、と私は付け加えたい。
意見を言われた人の気持ちを大切にする俵さんの歌会は、きっと得ることの多いものではないかと想像します。

その他、演劇、ラップ、ネット上のコメント、曖昧な表現、もちろん短歌も、あらゆる場面に登場する言葉に対して、俵さんは注目します。
途中途中に出てくる、31文字の世界もまた、読者を楽しませてくれます。