私が?

 外出先から帰るのが遅くなり、疲れたのもあって、夕食は外で食べることにした。家にいる夫に連絡して、最寄駅で待ち合わせ、中華レストランへ。喉を潤しお腹も満たして、さて帰ろうという時になって、気づいた。持っていたはずのトートバッグがない。
 その日は、往復3時間かけて従弟の家に行った。身体的な障害を抱えて1人で住んでいるので、お昼ご飯を持ってときどき会いにいく。バッグには、おかずを詰めてあった空の容器が入っているだけだ。洗ってないのが気になるが、なくなっても非常事態ではない。
 それよりも、自分が電車に物を置き忘れたことに愕然とした。わが家では、忘れ物をするのは夫のほうなのだ。
 たとえば10年前、法事のために、九州の夫の実家に行く途中のこと。空港から乗った地下鉄で、喪服を入れたバッグを網棚に載せた。下車してすぐに気づいたため、駅員さんに連絡して、2つ先の駅で見つけてもらうことができた。
 数年前の冬の帰り道、コートを網棚へ置いた。その日は暖かくて、自宅に帰るまで気づかなかった。鉄道会社に電話、乗り入れしている他社にも電話するが、見つからない。数日たってから再度確認したところ、警察に届いていることが判明した。
 昨年は、おじさんバンド仲間との練習のため、ギターを肩に掛け、音響機器用のかばんを手に持って出かけた。かばんは網棚に置き去り。忘れ物係への連絡のコツをつかんだと言い出す。たしかに、程なく見つかった。
 ギリギリセーフも数多い。
 理由はわかっている。音楽好きの夫は、下りる寸前までイヤホンで音楽を聴いているから、身の回りを確認する余裕がないのだ。本人は「なるべく網棚に置かないようにしてるよ」「ちゃんと確認してるんだけどなあ」などと言うが、毎回なぜか見つかるので、何とかなると楽観視しているのではないかと、私は思っている。70を過ぎ、年齢と共に回数が少しずつ増えている気もして、そこも心配だ。
 夫が反面教師となり、妻は網棚や座席を何度も何度も見返すようになってしまった。それゆえ、電車内で忘れることはないという確固たる自信がある。あったのに。よもや私が? これまた年齢と共に……なのだろうか。

「君が忘れ物をするなんて、めずらしいね。ま、早く駅員さんのところに行っておいでよ」
 夫の言葉に心なしか場慣れした落ち着きを感じながら、私は急いで駅の事務所に向かった。このときは一時的に地下鉄の終着駅近くに住んでいた。終点なら車内点検をするはず。期待どおり、奥から駅員さんが持ってきた。そして、ひとこと。
「中に入っていた容器は、こちらで洗わせていただきましたので、ご了承ください」
 持ち主が何日も現れない場合の悪臭を想定したのだろう。よけいな仕事までさせてしまった。恐縮して、礼を言う声も小さくなった。