着物の話
わが家にもめでたい話がやってきて、次男が結婚することになった。式はせずに、両家で食事をし、記念の写真を撮る、と若い2人が決めた。衣装は振袖と紋付き袴を考えていると聞き、相手のお母さんと相談して共に留袖を着ることにした。
私は着物についての知識がゼロで、洋服のほうが気が楽なのだが、それでも着ようと思ったのは、留袖が実家に眠っているからだ。母が、3人の娘たちが結婚したら必要になるだろうと、誂えてくれたものだ。
とはいえ、袖を通したのは、35年ほど前の一度だけ。義妹の結婚式に参列するとき、母に親族なのだからと言われて着た。準備はすべて母任せ。着付けは式場で頼み、脱いだ後は母に渡した。そんな私が母亡き今、着ようと言うのだから大変だ。
実家に住む姉に相談すると、
「お母さんの供養にもなるから、ぜひ着てほしいわ。私も着物のことよくわからないけど、お母さんがちゃんと仕舞っておいてくれてるはずだから、取りにいらっしゃい」
と言われ、実家に探しに行った。
3年前に母が亡くなってから、桐の箪笥に収まっている着物をどうしようかと、何度か話題に上っていた。私たち3姉妹にそれぞれ用意してくれた晴れ着や訪問着など、一度や二度しか着ていないものが何枚か収まっている。
留袖はすぐに見つかった。畳紙に「留袖(娘用)」とラベルが貼ってあった。姉の着物についての知識も私とほぼ同じなので、着付けに必要な小物はググるしかない。リストを見つけ、これと思われる物を箱から探し出した。
自宅に持ち帰ったのはいいが、頭の中にはクエスチョンマークが並ぶ。黒い着物なのに、白い糸の細かい縫い目が見えていて、このままでいいのか、わからない。しかも、長いこと箪笥に眠っていたので、シワがある。アイロンをかけていいものか。また、母が長襦袢に半襟を縫いつけていたのは知っているが、はてどうやったらいいのか。誰かに聞きたい。グーグル先生もこういうときは今一つ役に立たない。
そういえばと思い出したのが、駅の向こう側にある呉服屋だ。ときどき、その前を通るので、デパートでも呉服売り場が撤退するご時世なのにがんばっているなあと思っていた。着物を持って、おそるおそる訪ねてみた。
駅から5分の場所のバス通り沿い、間口はそれほど広くない店に入ると、中はけっこう広い。50代くらいの男性が出てきた。事情を話すと、「どうぞどうぞ、こちらにお座りください」と椅子をすすめて、「まずはお着物、拝見します」と、台の上にていねいに広げた。小さなほこりは粘着クリーナーでさっと転がし取りながら、細部まで見ていく。
「状態もいいので、今回はこのまま着られますよ」
「この二種類の白い糸が気になるんですけど……」
「この長いほうの糸はしつけですから、取りましょう。細かい縫い目のほうはぐしぬいといって、これは取ってはいけないものです」
「少しシワがあって、着物ハンガーに掛けておいたのですが……」
「そうですね、シワは取れてますね。大丈夫でしょう。でも、アイロンは絶対にかけないでくださいね。あと、着物ハンガーも長く掛けておくと、肩の線が日に焼けますので、タオルをうえに掛けておいてください」
私の無知すぎる質問に一つ一つやさしく答えてくれる。如才ないようすが、「呉服屋の旦那さん」というイメージとぴったり重なる。
質問するだけでは申し訳ないので、息子の足袋を購入し、半襟を付けるのも頼んだ。
こうしてなんとか準備が整い、当日は朝から美容院で着付けと髪の毛をセットしてもらい、会場に向かった。留袖の裾は金の刺繍が豪華で、2羽の飛び立つ鶴のデザインが施されている。すてきな留袖を用意してくれたんだなと、今さらながら母への感謝の気持ちが募る。しかし、夫や息子たちの目は、着物姿よりも、私の髪型に釘付けになった。アップして後頭部を少し膨らませてあるのがもの珍しかったようで、「その髪、どうなってるの?」が第一声だった。