姿見
玄関の靴箱の横に姿見が置いてある。高さが1m20cmほどのこの縦長の鏡は、角度を調節できるので、背の高い夫の全身も映し出す。キャスター付きで、必要に応じて移動することもできる。
新しい服を買ってきたり、着て行く服に悩んだりすると、鏡の前で試す。そういう使い方は実はあまり多くなくて、長年の間に、出掛ける間際にちらりと横目で見て自分の姿を確認するのが、無意識の習慣となっている。
いつの頃からか、鏡は地震のときに凶器になると言われるようになった。割れたら破片がちらばる可能性があるからだ。キャスター付きはさらなる危険も想像できる。フィルム製の「割れない鏡」があるのを知って、安全のために取り換えるべきかと考えるようになっていた。
この姿見にはこげ茶色の木枠が付いていて、やや時代を感じさせるデザインだ。それもそのはず、40年前に結婚のお祝いとして贈られたものだ。結婚でそろえたウォールナットの家具に合わせて、姿見も同じ色でとリクエストしたのだったか、記憶は曖昧だが。
贈ってくれたのは、大学時代に仲良かった女友達だ。18歳でクラスメートとして出会った私たちは、ウマが合ったのだろう、よく一緒に話し笑い、お茶を飲み、出かけた。彼女は姉後肌のところがあって、恋の話も聞いてもらったし、彼女のデートに私が一人で付いて行って一緒に遊んでもらうこともあった。
結婚して子どもが生まれてからは互いに忙しく、年に一度会えるかどうか。会えば、それまでの空白を埋めるように、おしゃべりに花が咲いた。それがいつ頃からか、メールしてもなかなか返事が来なくなり、必ず交換していた年賀状も途絶え気味になり、ついには来なくなった。体調を崩したのか、家庭に何かあったのか。大学時代のほかの友人も心配して共に探したが、今もって音信普通のままだ。
地震対策として割れない鏡に換えるのは正解だろうが、その女友達とのつながりを失ってしまうようで、心の奥底では決めかねていた。姿見は単なる「モノ」であって、私が彼女を忘れなければいいだけのことなのだが。
今回、家をリフォームするにあたり、姿見のことを相談してみた。すると、キャスター部分は外し、木枠付きの鏡を壁に掛けたらどうかという案が提示された。
「ぜひ、それでお願いします」
そう依頼したのは、言うまでもない。
さて、リフォームの最終段階、壁に取り付ける段になって、別の案が示された。
「木枠の裏側部分が経年劣化でだいぶ傷んでいるので、枠を取り外して、鏡だけを使いましょうか。縁がきれいに処理されているので、スッキリ見えていいと思いますよ」
この鏡が残るのなら、もちろん異存はない。地震が起きても外れることがないよう、しっかりと壁に取り付けてもらった。