マスクの下

 エッセイ教室は、終わってからのお茶の席も楽しい。時間切れで途中になった話の続きをしたり、作品のその後を聞いたりできる。親睦の意味合いもある。
 2021年秋に私が講師として関わる教室が開講したものの、コロナ禍のせいでそうした時間を持てずにいた。そして、お互いにマスク姿の顔しか知らずにいた。
 9ヵ月たって、1人の女性が家庭の事情で辞めることになり、お別れにみんなで一緒にランチしませんかという声が自然と上がった。感染対策を守りながらであれば会食も大丈夫と、世の中の考えも変わってきている。それでも無理はしないでと念を押したが、8人全員が店に集まった。
 すべて女性ということもあるだろうか、おしゃべりは尽きない。教室では話せなかった互いの個人的なことも話題に上る。みんな、こういう時を待っていたのだ。
 しかし、会話を楽しみながらも、私はなにか居心地の悪さを感じていた。
 毎月1回、顔を合わせ、エッセイを読み、人となりもわかってきた。話す声も知っている。眼差しもいつもと同じ。
 それなのに、マスクを外してランチを食べるその顔は、まったく知らない人たちなのだ。1人ではなく、そのテーブルを囲む全員が、初対面の顔だ。マスクの下を、私の脳が勝手に想像していたようで、違和感も大きい。なまじ知っている相手だから余計に、不思議な世界に入り込んだ気分になった。
 もちろんそう感じたのは私だけではないだろう。講師の顔はこんなだったのかと密かに思っていた人も多いはずだ。誰もあえてそのことを口に出しはしなかったけれど。
 翌月になれば、何事もなかったかのように、全員がいつものマスク姿で教室に現れ、素顔は忘れ去られる。
 人々を悩ますこうした出来事が、あらゆる所で頻発しているにちがいない。