黄色いワンピース

 90歳を過ぎてから母は、あの写真が手元になくて残念だわと、何度も口にするようになった。それは、姉が幼稚園の年長、私が3歳のころ、母のお手製のワンピースをおそろいで着ている写真。
 2人ともかわいらしく写っていて、大きめに引き伸ばして飾っていたのに、当時、父の遠い親戚のおばさんが来たときに、父があげてしまったそうだ。昭和30年代は現像代も安くはなくて焼き増しできず、今となってはネガもどこにあるかわからない。
 写真のことを嘆く母に、私は言う。
「その服のこと、私はよーく覚えているよ」
 黄色い袖なしのワンピースで、セーラ―カラーには白い細かな綿レースの縁取りがある。襟の背中側には錨、胸元には船の操縦ハンドルの刺繍がしてあって、大好きな服だった。小さい頃、母が縫ってくれた服はどれもよく覚えている。「こうやって、お母さんと洋服の思い出話ができるなんてうれしいね。だから、写真はなくたっていいじゃない」
 しかし、母は首を横に振る。おばさんの子供に連絡して、あの写真を返してもらいたいとまで言う。もう長いこと音信不通なのに。
 娘との話だけでは満足できない母の気持ちを想像してみる。目に見える確かな物をそばに置いて、思い出を何度も確かめたいのか。それとも、写真を手放した時の残念な思いが、今なお心の中でくすぶっているのだろうか。