星になっても

『星になっても』(岩内章太郎著 講談社 2025年4月)をご紹介します。
ときどきNHKのラジオ番組『高橋源一郎の飛ぶ教室』を聞きます。オンタイムではなく、スマホに入れたアプリ「らじるらじる」で聞き逃し配信を、気が向いたときに、というお付き合いです。
この番組では、作家の高橋源一郎さんが本を一冊取り上げて紹介します。本の魅力を語るのがおじょうずで、それを聞くだけですっかり読んだ気になって満足してしまうのが常ですが、この『星になっても』に関しては実際に読みたくなり、書店で購入しました。
なぜ読みたくなったのか。「父親の死」について書かれたエッセイだからです。私は35年前に父を亡くしました。当時はまだエッセイに関わっていなかったので、父のことをエッセイに書いたのは亡くなって10年ほどたってからのことです。ですから、本書が、父親の死後あまりたたずに、月刊誌に16回連載されたエッセイと知り、また筆者が哲学者で、どのように親の死を語るのか、読んでみたくなったのでした。
筆者の父親は難病にかかり、1年間の闘病の末、亡くなります。
「訃報を待つ」というエッセイは本書の最後に収められていますが、実際はこの連載が始まる前、父の死について最初に書いたものです。父の病気を知ってから、「私は一年間、訃報を待っていたことになる」と綴っています。その間、筆者の小さい息子たちは成長し、筆者自身は「半分大人で、半分子ども」の感覚を味わいます。『ゴドーを待ちながら』に言及して、「待つ」ということを考えます。父親の訃報を待つ間にも、「食事し、おしゃべりし、研究し、バラエティー番組を見、家族と寝る」けれど、「私の一年間の気分に影を落としている」「それが訃報を待つということなのである」と述べています。
本書全体をとおして、父親との思い出、母親や弟のようす、自分の妻や子どものこと、日常の話も出てきますが、出来事の描写に終わることなく、それらの出来事がどういう意味をもつのか、筆者の考えを読者は知ることになります。物事ときちんと向き合う姿勢が、そこここに感じられます。
また、筆者の専門である哲学的な見地から、「死と孤独」について考察をした文章が3回にわたって綴られていました。これはむずかしかった。ゆっくり何度か読みましたが、理解できずにいます。
1回のエッセイが、原稿用紙15枚から20枚くらい。それを毎月。16回の連載。何を取り上げるかを考えるだけでも大変だったと推察しましたが、筆者の辛さは少し違うところにありました。「おわりに」で、「予想していたよりもずっと、心身に負担のかかる作業だった」「アイディアを練って、原稿を書いて、ゲラの校正をして、校了するまでの時間、私は父の不在に対峙しなければならない。これが書くことそのものよりも苦しかった」と述べています。
この連載の1年半の間に心境の変化もあったと書いています。そして、「私は父についてのエッセイを書きながら、それを父に向けて書いてもいた」そうです。
そこは私も同じ。父のことを書くことで、父に私の思いを届けたかった。父と会話をしながら書いていたことを思い出しました。そういう共有できる思いも感じながら読みました。
*「高橋源一郎の飛ぶ教室」の冒頭の3分ほど、高橋源一郎さんのオープニングトークがあります。最近のこと、感じたこと、思い出などを話します。「語るエッセイ」とも言えそうな内容で、リスナーの心を温かくする話であったり、時には心に沁み、また響く話だったり。これは人気コーナーだそうで、この部分だけが本にもなっているようです。