母の最終講義

『母の最終講義』(最相葉月著 ミシマ社 2024年1月)をご紹介します。

このタイトル。衝撃的でした。母親の介護をこう受け止めたのかと。
最終講義とは、一般には大学を退職する教員による最後の講義を言います。それを、母親に使うということは、どういう気持ちなのでしょう。
本のカバーは白。ほんの少しだけ生成りの色がかかっている白。写真やイラストはなく、タイトルと著者名が小さめの活字で印刷されているだけの、そっけなさすら感じさせる装丁です。でも、それがタイトルの雰囲気にとても合っています。
『絶対音感』(小学館 1998年3月)を著したノンフィクションライターとして、私が気にしている作家のひとり。迷わず、本書を購入しました。

最相さんの母親は54歳のときに脳出血で倒れ、脳血管性の若年性認知症になりました。年月が過ぎ、最相さんは「母に育てられた年数よりも母を介護してきた年数が上回」ります。ヘルパーの手を借りて遠距離介護をしていましたが、それも難しくなり、自宅近くの介護施設へ呼び寄せます。さまざまな心境の変化を経て、これらの介護の日々は「母が私に与えた最後の教育」ではないかと思うようになりました。その後、肺炎での入院もあり、最相さんは「さあ、いよいよ母の最終講義が始まった」と覚悟の気持ちを語ります。タイトルがこのように文中に出てきました。母親への気持ちが、この短い言葉に集約されているようでした。

タイトルから受ける印象に反し、44編のエッセイ(ほかにコラムとして3編)のうち、母親が登場する作品がとても少なく感じました。父親のがんの闘病にも話は及びますが、両親の介護の話として捉えても、それほど多くありません。
最相さんは興味の幅が広く話題が豊富、また、これまでの仕事関係から発展する題材もあり、それらのエッセイが多くを占めます。たとえば、宗教、東北大震災、生物や宇宙関連、ヤングケアラー、コロナ禍の話題などが登場します。難しい内容もありますが、どのエッセイも読みやすい文章で大変わかりやすく綴られています。
『絶対音感』に関連して「相対音感」について書かれた文章もありました。音感の話を人の成長に重ねていて、ノンフィクションの題材が年月を経て違う角度から考察されるおもしろさもありました。

そうした社会的な題材の作品の中に挿入された、親の介護についてのエッセイからは、最相さんの心の底から抑えきれずに漏れ出た気持ちが伝わってきて、それが読み手の胸に沁みるのでした。
収載されているエッセイに親の介護の話は少ないが、タイトルは『母の最終講義』。本の構成そのものが最相さんの生き方を示しているように感じました。