ネタバレについて考える

ある映画について書かれたエッセイを、教室で合評しました。そのエッセイには、映画のラストシーンについての筆者の思いが書かれていました。
私は一般的なアドバイスとして、
「映画や本について書くときは、ネタバレにならにように気をつけたいですね」
と伝えました。
たとえば、ミステリー小説を取り上げたエッセイに、小説の最後に登場する真犯人が誰だったか書かれていたとします。エッセイでその小説に興味をもった読み手が、読もうと思っても、犯人がわかっていて読むのでは、おもしろさが半減してしまいます。映画の最後の謎解きの答えまでエッセイに書かれていたら、興ざめです。
ですから、ネタバレになるところまでは書かないように気をつけましょう、という意味のアドバイスです。

そのとき、ほかの方から質問がありました。
「ネタバレしてはいけないというのは、エッセイのルールですか?」
それに対し、別の人からは、
「ルールではなく、それがエッセイを書くうえでのマナーだと思います」
という意見も出ました。
私も「マナー」の範疇だと思いますが、ネタバレについて、もう少し考えてみることにしました。

映画や本などの作品をエッセイに取り上げるのは、どういうときでしょうか。
おそらく、感動して、もしくは何かを感じ取って、自分の気持ちを語りたいからだと思います。その際に、あらすじを語らずに、自分の気持ちだけを書いたのでは、読み手にはなにも伝わりません。ある程度ストーリーを紹介して、そのうえで、感じたことを語る必要があるでしょう。

最後の場面で感じたことをエッセイに書きたければ、その最後の部分も紹介することになります。ラストにどんでん返しがあれば、ネタバレ必至です。
とはいえ、作品によっては、ラストシーンを知っていても、楽しめるものもあるでしょうし、その紹介の仕方によっては、ネタバレにならないかもしれません。
実際、教室で合評したエッセイには、最後のシーンを2行ほど描写してありましたが、そのシーンを知ってもあまり影響がない範囲にとどめているようでしたし、最後に大きな展開がある話でもなさそうでした。

映画や本の内容によって、エッセイでどこまで触れてよいかの範囲は違ってくるようです。また、書き手によってストーリーの紹介の仕方も違うでしょうから、一概に、どこまでなら書いていい、どこを超えたらダメ、と線引きするのもむずかしそうです。そこは、書き手のセンスに任せるしかありません。
と同時に、読み手によっても、ネタバレの感じ方は違いそうです。同じエッセイを読んで、「そこまで書かれていたほうが、わかりやすくていい」と言う人、「それでは書きすぎ。自分で感じとる楽しさを奪わないでほしい」と言う人もいるでしょう。

ネット上で見かける映画の紹介や本の感想文には、「これ以降、ネタバレあり」などと書かれていることもあります。でも、エッセイにこの表現を入れるのは、そぐわない感じがします。

エッセイは読み手を意識して書くものですから、ネタバレとなるような書き方は避けたいけれど、その書き方は書き手にゆだねるしかなさそうです。