フィクションはどこまで

ある教室に提出されたエッセイは、定年退職したばかりの夫との生活について、妻が書いたものでした。
「買い物に行くけど、行く?」と尋ねると、夫は「行く」と言う。
「散歩に行くけど」と伝えると、夫は「僕も行くよ」と答える。
妻である筆者は、夫が毎回「行くよ」と答えて一緒に出かけるので、これまでのように自由気ままというわけにはいかない。
という最近の場面から始まる作品でした。

夫が退職して毎日家にいる。退職したばかりで、お互いに相手のペースがつかめず、少しずつ無理をしてしまって気詰まり。そうした日々について妻が書いたエッセイを、私は以前にも何度か読んだことがあります。
今回の作品からも、そういう思いがくみ取れて、「妻の気持ちがしっかり書き込まれていて、読み手に伝わってくるいい作品でした。でも、そのうち、2人の関係はいい塩梅のところで落ち着くのではないかしら」と、感想を述べようと思っていました。

ところが、筆者が、
「実は……エッセイにはこう書いたけれど、夫と一緒に行くのがイヤというわけではないんです。この作品で前半を盛り上げるために、こう書いたほうがいいかなと思って」
と言うのです。そういえば、最後は仲良く散歩しているようすで終わっています。そこへ持っていくために、前半の気持ちの部分にフィクションを入れたとのことでした。

私は、定年退職後の夫婦はたいへんという思い込みから、前半部分の妻の気持ちに心を寄せて読んでいただけに、その部分がフィクションだったと知って、がっかりしました。
こういうフィクションは、どう受け止めればいいのでしょうか。
このやり取りを聞いていた、ほかの受講生からは、
「エッセイにフィクションを書いてはいけないのですか?」という質問も出ました。

それこそ、答えるのがむずかしい問題です。
エッセイは本当に起きたことを書く、という暗黙の前提があります。
けれども、エッセイには、筆者が取捨選択した出来事を書き、筆者が感じたことや覚えていることを書くわけで、本当に起きたことではあるけれど、真実とも言いがたい。また、プライバシーの問題や、枚数内に収めるために、またわかりやすくするために、事の順序を入れ替えたり、登場人物の年齢や関係性を変えたりと、フィクションが入ることもあります。

エッセイに書き入れるフィクションは、どこまでなら良くて、どこからが悪いのか。線引きはできるのでしょうか。
とても悩ましい問題で、私の心のなかでまだ解決に至っていません。