初めて書いたエッセイ&初めてのエッセイ教室
エッセイの仲間2人からエッセイ集が送られてきました。これまで書いてきたエッセイを本にまとめたものです。
Aさんの本には、エッセイ教室で初めて書いた作品『子育て雑感』が載っていました。
〈あらすじ〉イギリス駐在時に子育てを経験した。イギリスは大人中心の社会で、たとえば夜のディナーの席に子どもを連れてくることはない。子どものわがままを社会が許さない。日本に帰ってもその子育てを手本にしていたら、自分の意志で動けない子になってしまった。中学生になって自主性をもつようになったが、なにかの折に「指示待ち」のなごりが顔を出す。子育ての難しさを改めて思い知った。
エッセイ教室に通い始めた頃、Aさんにとって子育ては大きなテーマだったのでしょう。子育ての渦中にいる母親の気持ちが強く伝わってくるエッセイでした。同じことを扱うのでも、時間がたってから思い出して書いたのであれば、ここまで自分の心を掘り下げることはできなかったでしょう。作品の後日談として、「いま読み返すと勢い余った感じがします」と綴られていました。それは「思いが強すぎた」という意味に私は読み取りました。
初めて書いたエッセイのことを、私自身もよく覚えています。読み返すと 、「今これを書いておきたい」という思いが強すぎて先走り、粗削りで、文章が追いついていません。ちょっぴり恥ずかしくなる「青さ」があって、そして、いとおしくなります。
Aさんも、初めて書いたエッセイを読むと当時の思いがよみがえり、大切な作品の一つとしてエッセイ集に載せたのでしょう。
Bさんの本には、『エッセイ事はじめ』と題して、エッセイ教室の初日の話が載っていました。
〈あらすじ〉仕事以外になにか楽しみを見つけたら?という夫のアドバイスで、エッセイ教室に通うことにした。小学生のように胸を膨らませて楽しみにしていたのに、仕事がその前に入り、10分遅刻してしまった。先生に勧められるままに最前列の席につくと、そこは俳句の教室。「間違えました」とは言い出しにくく、しばらく座っていたが、このままでは授業時間が終わってしまうので、小さな声で「用事を思い出しました。すみません」と廊下に飛び出し、隣のエッセイ教室へ。ほんのひとときしか参加できなかったが、終わってからエッセイの先生に、実は隣の教室に入ってしまったと伝えた。すると、先生は、
「あら、それ、エッセイになるわよ」
と言って、私の肩を叩いた。
緊張して赴いた初めてのエッセイ教室。それなのに、席に着いてみたら俳句の教室だった。「それ、エッセイになるわよ」。先生の言葉がいいですね。 教室初日のBさんにとっては、まさかこんな失敗談がエッセイになるのかと、半信半疑だったことでしょう。エッセイってそういうものなの? こういうことをエッセイに書いていいの? そんな驚きと発見があったはずです。そして、先生の言葉通り、後日、楽しいエッセイになりました。
こういう特別なハプニングがなくても、誰でも初めての日は何かしら記憶に残る思いがあるのではないでしょうか。私自身も、エッセイ教室の初日のことがずっと心にあり、25年寝かせてから、作品に仕上げました。
初めて書き上げたエッセイ。初めて足を踏み入れたときのエッセイ教室の風景。それぞれ心に残る大切な記憶です。
どんな趣味でも、最初に関わった時のことや、最初に手掛けた物を覚えていることでしょう。エッセイという趣味が楽しいのは、その覚えている「気持ち」をも書くことで残しておける、そして誰かと共有できることですね。
2冊のエッセイ集を読んで、そんなことを感じました。