女郎花はいつ咲く花ですか?

あるエッセイに、桜の花の季節に起きた出来事が書かれていました。ああ、これは春の話だなと、ほとんどの日本人はわかります。
ところが、その少しあとの段落に、「庭の女郎花は黄色い花をつけている」と出てきました。どうも、場面が切り替わったように読み取れるのですが、無粋な私は、はて女郎花はいつ咲くのだったかな?と悩んでしまいました。かろうじて、「おみなえし」と読むことはできましたが。

書き手に尋ねると、
「女郎花は秋の七草にも入っている花です。女郎花の花が咲いたと書けば、ここで季節が秋に変わったとわかると思ったのですが」
という答えでした。花に詳しい方でした。
おっしゃるとおりですが、果たして読み手の何割がここで「秋に場面が切り替わった」とはっきり気づくでしょうか。その合評の場にいた6名からも、ちょっとわかりにくかったという声があがりました。
こういう場合は、
季節が進んで、庭の女郎花は花をつけ……」のように、せめて、時間が経ったことを示す言葉を入れたらどうでしょう。
読み手は意外と鈍感で、はっきりと書いてないと(書いてあっても)読み飛ばすことがあります。時間や場面が変わったことをはっきり伝えたいときは、1行あけて、視覚にも訴えることがあるくらいです。
俳句であれば、どこかに季語があるはずで、「女郎花」を知らなければ、いつの季語だろうと調べるのでしょう。
文字数の多いエッセイでは、逆に、少し手厚く書き込むことが必要なのかもしれません。

「一読してすうっとわかるようなエッセイ」が、趣味で書くエッセイの目標ではないかと、私は思っています。読んでいる途中で、これは誰だったかな、いつの話だったかな、などとわからなくなり、前に戻って読み返す。そういうことがなく、さらさらと先に進めるエッセイが理想です。
その意味でも、「女郎花が咲いた」とだけ書くのではなく、「半年ほどたち」「季節が変わり」などの、女郎花が咲いた時期へ読み手を連れていく言葉を入れるといいのではないかと思います。
とはいえ、冒頭に書いた桜のように、誰もが開花時期を知っている場合は、「桜の季節になった」とさらりと書くだけで通じます。どの花なら万人が知っているのか、その判断は難しい。そういう時は、やはり合評を活用したいものです。もし、身近に合評の場があれば、ですが。