身近なネタをどうやってエッセイに書く?

エッセイを書きたい思いがあって書き始めたが、何年か書いているうちに題材が尽きてしまい、その後、書かなくなってしまった、という方がいました。たしかに、長く書き続けると、自分の子ども時代のこと、家族のこと(親やきょうだい、子どものことなど)、隣近所のこと、友達のこと、旅行などなど、身の回りのほとんどのことをすでに書いてしまっていることに気づきます。

ネタ探しにはみな苦労します。何か特別なことが起きないと書けないと思いがちです。身近なことを書いていいのだと言われても、そんな些細なことを読み手はおもしろく読んでくれるだろうかと心配になります。大丈夫。工夫次第で読ませるエッセイに変身するはずです。

表現を工夫する
先日読んだエッセイの話です。題材は、台所で食器を洗う時に使う「スポンジ」。湿気が多く細菌の温床と言われているスポンジ。とはいえ、いつ交換したか忘れてしまう。清潔に使う方法はないかと、2個使いで一方を乾燥させたり、1週間ごとに新しいものに変えてみたりと、筆者は試行錯誤します。
特別な事件は起きませんが、その作品がきらりと光って感じたのは、表現方法です。古くなったスポンジを「二軍落ち」させたり「登録抹消」したり、再び「登板」させたりする。その表現が楽しくて、読んでいる側も楽しくなるのです。真正面からまじめに書いたらおもしろくなかったかもしれません。表現の工夫でまったく違う作品になりました。

切り口を工夫する(1)
自分には正月らしいことが何もなくて寂しかったという方がいました。
「一人で過ごす三が日は寂しい。普段とまったく同じ生活だった。いつもと同じ時間に起きて、決まった時間に食事して、ストレッチして、散歩して……」
世の中はお正月気分、テレビをつければ正月番組、でも自分はいつもと変わらぬ毎日のスケジュールを淡々とこなすだけ。これもエッセイになるでしょうか?
寂しいという感情は書かずに、世間と自分との対比を切り口にして、自分を第三者的に見つめて書いたらどうでしょう。タイトルはたとえば「一年の計は元旦にあり?」として、ユーモア精神も少し取り入れる。そうすれば、ちょっとおかしい、でもちょっと切ない、読み手の共感を呼ぶエッセイに仕上がりそうです。

切り口を工夫する(2)
私の話です。わが家にあるリクライニング付きの椅子は快適で気持ちよくて、テレビを見たり読書をしたりしているうちに、必ず寝てしまいます。特にエピソードもない、ただそれだけの椅子ですが、エッセイにならないだろうかと考えました。どういう切り口で書いたら、おもしろく読んでもらえるでしょうか。
「いつも、いつの間にか寝てしまう」を切り口にしたらどうか。それを強調するために、与えられたテーマでこの椅子を書いてみたらどうなるか、という切り口をもう一つ加えたらどうか。
タイトルも切り口そのまま、「どんなテーマで書いても結末は同じ」としてみました。仕上がった作品は「今月のエッセイ」に掲載しましたので、ご覧ください。