なぜ今、そのエッセイを書くのか

エッセイ教室に提出されたあるエッセイに、5年前に読んだ本のことが書かれていました。筆者が感動した箇所とあらすじとがバランスよく書き込まれていて、その本を読んでみたいと思わせるいい作品でした。
ただ、その場にいた皆が感じたのは、
なぜ今、5年前に読んだ本について書いたの?
という疑問でした。

一般に、今そのエッセイを書く理由としては次の2つが考えられます。
1)最近の出来事だから。もしくは、最近の出来事から昔のことを思い出したから
2)テーマを与えられて、そのことを思い出したから

1)最近の出来事だから。もしくは、最近の出来事から昔のことを思い出したから
5年前に読んだ本についてのエッセイも、たとえば、
「先日、○○賞を受賞して、脚光を浴びている作家がいる。私は5年前にすでにその作家の本を読んでいた」
などの、5年前と今をつなぐ何か、すなわちそのエッセイを今書く理由が書かれていると、読者から疑問は起きなかったことでしょう。

2)テーマを与えられて、そのことを思い出したから
「本」というテーマが出たから、5年前に読んだ本を思い出して書きました、ということであれば、読者も納得はするでしょう。けれども、テーマから離れて1つの作品として読む場合は、なぜ今書くのかという理由は弱くなってしまいます。

今回、なぜこの話題を取り上げたか。その理由は、最近発行された作品集で目にしたエッセイにあります。そのエッセイは、こういう書き出しで始まっていました。

 最近旅をしていません。近ごろ足腰の衰えを感じるようになってきまして、どっこいしょ、の掛け声ぐらいは良しとして、そこにまたさざ波のように寄せては返すちょっと厄介な億劫さん。
 ですから少し昔の旅の思い出話です。

この書き出しに続いて、話は10年以上前の旅行に移ります。作品の最後には、「課題『旅』」と書かれていました。 (『桜梅桃李 第5集』松橋幸彦さんの「ブルーキャニオンの思い出」より)

この書き出し部分があるとないとでは、まったく違う作品になっていたはずです。
書き出しがなければ、なぜ10年以上前の旅行を今? と読者は疑問に思いながら最後まで読み、そこでテーマを知って、「なるほど、旅というテーマだから、昔の旅行を書いたのか」となります。
書き出しがあるおかげで、「今書く理由」がはっきりして、読者は10年以上前の旅行の話に自然に入っていくことができます。テーマに頼ることなく、1つの作品として立派に完成しています。

エッセイ教室などで、テーマが出されて作品を書く場合は、もちろんテーマが書く理由でいいのですが、そのままでは作品は独り歩きできず、常に「この作品のテーマは○○でした」という但し書きとセットになってしまいます。
今とそのエッセイをつなぐ理由が本文中に書かれていれば、テーマの但し書きがなくても、「なぜ今古い話を語るのか」という不自然さがなくなります。もちろん、その理由はいつも書き出しにもってくる必要はなく、効果的に途中や最後に出すなどの工夫も考えられます。
テーマで書いた作品でも、このような仕上がりにしたいものだと、この旅のエッセイを読んで思ったのでした。

ただ、常にこれを求めていると、「テーマに沿った内容を思いつくだけでも大変なのに、そんなことまで考えたら、エッセイが書けな~い!」となってしまうので、たとえば作品集に載せるときに手を入れて、最終的にテーマの但し書きがなくても成立する作品を目指す、というのはどうでしょうか。

*『桜梅桃李』はNHK学園くにたちオープンスクール「エッセイを書きたいあなたに(水曜)」教室の作品集です。引用させていただき、ありがとうございました。