喪中だけど
喪中で正月を迎える場合は祝い事を避ける。「おめでとう」と言わない、おせち料理は食べないなどは、常識としては知っていた。
しかし、正月が近づいてくると、細かいことが気になってくる。初詣でに行ってもいいか。鏡餅は例年小さいものしか用意しないが、お供えしていいのか。年越しそばは食べてもいいか。昨春に亡くなった母を悼む期間であるから、いい加減にやり過ごしたくはないし、この機会に息子たちに教えておきたいという思いもある。
今は便利なもので、ネットで調べれば、簡単に答えがわかる。神社への初詣では、神道が死を穢れとして考えるので控えるべき、正月飾りを控えるので鏡餅も同様に控える、年越しそば問題なしと、一つ一つ答えが返ってくる。
おせち料理は作らないとしても、息子2人が帰ってくるから、食べるものは用意しておかなくてはならない。お煮しめやぶりの照り焼きくらいなら祝い膳とみなされないだろうと多めに作った。スーパーでは棚を占領している伊達巻や蒲鉾に手が伸びるが、紅白の蒲鉾はやめて白だけにした。わが家のお重は、熨斗(のし)模様というおめでたい柄なので、さすがにそれは使えないと、器に盛るだけにする。
元日の昼過ぎ、アメリカに住む妹からメールが来た。
「そちらは明けましたね」
まだおおみそかの夜で、これからディナーという。
「はい、明けました」
妹に合わせて、私も「おめでとう」を使わずに返信。
そこへ姉からのメールが届く。
「お母さんがおせちを好きだったので、今年も作りました!」
お重にきれいに盛り付けられたおせちの写真付きだ。一緒に住んでいた姉は好みをよく知っている。そうか、あまり形式にとらわれず故人を偲べばいいのだと、少し反省する。
1月の中旬になって、妹からカードが送られてきた。葉書より少し大きめのくすんだ赤地の上に、私たち家族のいろいろな時期のモノクロ写真が5枚レイアウトされている。ホリデーシーズンのカードとして作り、裏面には母親の思い出を書いて、アメリカでの家族や近い友人に送ったそうだ。
そのカードからは、家族の笑顔と共に母の人生がふわあっと浮き上がってくるようだった。こういう方法があったのだ。ほとんどの相手には喪中欠礼の儀礼的な葉書でいいが、母をよく知るわずかな人には、私もこういうカードを送りたかった。
しきたりにこだわることなく、もう少し柔軟に考えればよかった。けれども、何度もあることではないから、そつなく行いたくて、慣例に従うだけで終わってしまった。