映画ロケ地

 2022年10月、映画『向田理髪店』が公開された。舞台となる寂れた元炭鉱の町は、少子高齢化や過疎化の問題を抱え、経済的な発展も見込めない。主人公はその地で理髪店を営む60代の向田康彦。利用客は高齢者ばかりだ。東京に出て行った息子が帰ってきて、店を継ぐと言い出すところから始まる。日々変化がない町の、家族や人々の心のつながりが描かれている。
 東京での上映は3館のみという映画を夫と見に行ったのは、ロケ地が福岡県大牟田市だからだ。夫が生まれ育った町だ。
 駅や警察署、喫茶店など、見知った場所が何か所も映し出される。シャッター商店街として出てきたのは、現在まさにシャッターが並ぶ「銀座通り」。私が結婚した40年ほど前にはデパートが2つあり、人通りの絶えない商店街だった。役場として使われたのは、1936年に建てられた市庁舎だ。現役の市役所であり、かつ国の有形文化財でもある。
 原作は奥田英朗氏による同名の小説で、北海道の元炭鉱の町「苫沢町」が舞台となっている。映画ではロケ地大牟田に合わせて、町名は「筑沢町」と変わり、出演者は大牟田弁を話す。大勢のエキストラは、みな大牟田市民。映画のなかでも、町の活性化のために映画ロケを招致して、筑沢町民がエキストラ出演する。現実の大牟田市も炭鉱の衰退とともに、人口が減少して今や10万人、高齢化率は37%を超える。映画の筑沢町と実際の大牟田市がオーバーラップする点が多くて、ドキュメンタリーを見ているのかと錯覚してしまいそうだ。
 そして、その錯覚をさらに後押しするのは、理髪店主を演ずる高橋克実さんの言葉だ。生粋の大牟田生まれかと思うほど、微妙なアクセントがうまい。
 たとえば、「そうですか」は「そげんね」と言う。しかし、ひらがなをそのまま読んではいけない。「げ」の部分が、「が」でもあり「ぎゃ」でもあるような、書き言葉では表すことができない発音なのだ。私もそのニュアンスは体得できていない。結婚して初めて大牟田に行ったとき、お年寄り同士の会話は意味がほとんどわからなかった。長年の間に、だいぶ理解できるようになったが、話すとなると別だ。「ばってん」も意外とむずかしい。どうしても取って付けたようになってしまい、私が口にすると、義母はにこっとして、こちらを見る。
 それなのに、新潟県出身の高橋克実さんのうまいこと。福岡県出身の富田靖子さんと、地元の夫婦を自然に演じていた。
 全国の多くの町にも高齢化や過疎化の問題はあって共感できるし、現実をユーモラスに、時にほのぼのと描いていて心が温まる、皆にお勧めできる映画だ。しかし、大牟田を知っているからこそ、より楽しめたとも言える。東京での上映が3館というのは、仕方ないことかもしれない。

*「今月の話題」で、「冷凍ストック」について触れました。本エッセイの素材は、その冷凍ストックをしておいたものです。合わせて、「今月の話題」もぜひお読みください。