父の形見
実家の大整理をした。親の思い出が残るモノはたくさんあるが、私自身が今後の始末を考える年齢に近づいている。思い出は心の記憶に留め、モノは手放すことにした。雑多な小物や文具から、アクセサリーや食器、美術品など大量にあり、業者に取りに来てもらうことになった。
その前に、独立している息子たちが食器とか使うかなと思って見せると、次男が興味を示したのは父の万年筆だった。
「ふーん、名前入りなんだね」
と、黒い軸に刻まれた名をしげしげと見つめた。
父は字のうまい人だった。とめ・はねがしっかりした力強い字で、走り書きでもその基本は崩れなかった。筆や万年筆で書くようすを、子どもの頃からそばで見ていた。
しかし、現在の私には万年筆を使う機会はなく、今回手放すことにしていた。それなのに、もっと使わなそうな次男がつぶやく。
「これ、もらおうかな。おじいちゃんの名前が入っているから、持っていたいよ」
一瞬、聞き間違いかと思ったくらいだ。写真でしか知らないおじいちゃんなのに、そんなふうに思ってくれるなんて、うれしかった。名入りの万年筆はもう1本あり、次男の気持ちにつられるように、私も手に取った。
とはいえ、父が亡くなったのは35年前。放っておかれたペン先には乾いたインクがこびりついている。メーカーに修理を頼んだとしても使えるようになるかどうか。次男にそう言うと、
「ま、修理に出してみてよ。よろしく」
と、そこはちゃっかりしている。
文具店経由、パイロットに依頼すると、オーバーホールは1本1,100円、部品交換にプラス500円で、1カ月後にピカピカになって戻ってきた。
太字のほうを次男に渡す。試し書きして、満足そうな表情で胸ポケットに差した。私はキャップを開けて旧姓を書いてみた。モノに宿る思い出もある。久しぶりに父の姿が脳裏に浮かんだ。