エッセイストのように生きる
『エッセイストのように生きる』(松浦弥太郎著 光文社 2023年10月)をご紹介します。
書店に寄ると、エッセイに関する本を探しますが、最近はタイトルに「エッセイ」の文字が入る本をあまり見かけません。小説の書き方は何冊か目につくのですが。そんな中、タイトルに「エッセイスト」の文字が入っている本書を見かけ、思わず手に取りました。
著者の松浦弥太郎さんの職業はエッセイストで、エッセイを書くことが暮らしのベースにあります。自身を振り返ったとき、エッセイを書くということが、自分の生き方に大きく影響を及ぼしていたことに気づきました。そして、生活のなかにささやかな気づきや宝物をさがし、それをよろこぶという生き方を「エッセイストという生き方」として提案しています。たとえば、コップの水を、一気に飲むのではなく、ゆっくり味わいながら飲む、といういうような生き方。たとえば、経済的な成功を求めるのではなく、精神的な幸せをのぞむような生き方です。
松浦氏によるエッセイの定義はユニークです。第1章「エッセイとは、なにか」で、エッセイは「秘密の告白」であると述べています。エッセイは「パーソナルな心の様子を描いた文章」であるが、それだけではエッセイとは呼べない。秘密の告白が必要だと言うのです。とはいえ隠された過去を告白するという話ではなく、「自分が発見した、ものやことに隠されている本質」「ほかの人から借りた感性や意見ではなく、自分の内側から生まれた自分の言葉」がエッセイにおける秘密です。特別な体験は必要なく、気づき、感じ、そして考えることによって、秘密は生まれてくると説きます。
私がエッセイを書く場合、アンテナを張り、ネタはないかと探し、何か心にぐっと来るものが見つかれば、それをどう料理するか考えます。それと似ていますね。趣味で書く場合には、1編のエッセイのためにそれを行いますが、書くことが仕事となれば、その行為が日常的なものとなり、すなわち松浦氏にとっては生き方となっているということではないでしょうか。
最後の第5章「エッセイの書き方」では、実際にエッセイをどう書くかについて述べています。エッセイは自由なもので、ルールに縛られることはないとしながらも、何かしらの指針が必要として、文章術が紹介されています。
いくつか見出しを挙げてみます。
・自分のために書き、人に読んでもらう
・エッセイに「演出」はいらない
・エッセイのあるべき長さとは?
・言いたいことは「ひとつ」だけ
・なにを書かないか
・エッセイの上手、下手とはなにか?
・タイトルにはこだわらない
気になる項目がいくつもありました。いろいろな考え方を知って、自分がエッセイを書く際にも柔軟に生かしたいと思います。
今回はじめて松浦氏の文章を読みました。全般に、やさしい口調で、ていねいに語りかけるような文章でした。「文体とは、話し方に近いもの」「話し方とは人柄」。そう、本書に書かれていました。