書き手の年齢
先日のエッセイ教室でのことです。
ある作品に、戦時中の場面が出てきました。それを見ている筆者も描かれています。「幼子に返った私が覗き見ている」と書かれているので、私は筆者に尋ねました。
「小さい頃に見たことを、細かく覚えていますね。よほど印象が強かったのですね」
すると、筆者はこう答えました。
「いえいえ、私は戦後生まれです。大人になってから知った戦争の場面を、幼子の目で見ているシーンとして書きました」
となると、この書き方では、読み手は筆者の年齢を誤解してしまいます。「自分は戦後に生まれ、戦時中のことは想像して書いた」ことがわかるような一文が必要ではないでしょうか。そのように私が言ったところ、教室の他の方から、
「でも、このエッセイで、筆者が戦争を知っている年齢であると読み手に思われても、別に問題ないと思います」
という意見が出ました。
これを聞いて、私はハッとしました。
これまで、書き手の年齢が(だいたいでいいので)読み手にわかったほうがいい、と思ってきましたし、エッセイ仲間と合評しても、そういう意見が出ます。そうあるべきと思い込んでいました。
しかし、作品によっては、筆者の年齢が実際と違って受け取られても、大した問題はない。そのことを気づかされました。
そもそも、この作品の冒頭には、書き手が眠りに入りかけていて、目が覚めているのでもなく寝入っているのでもなく、幻想が頭の中をめぐっている、という状況が描かれています。そういうなかで、幼子の目に映る戦時中の場面が描かれます。書き手が実際に見たか、見ていないかは、この作品では問題ではないのです。
以前の「今月の話題」に、「こう書くべきに縛られない」という記事を載せました。 今回はそれにプラスして、「年齢を書くべき」に縛られず、作品に合わせて、柔軟に受け止めようと思いました。