「こう書くべき」に縛られない

エッセイはどう書くべきか。どのように書けば読みやすい文章になるか。
エッセイや文章の書き方の指南書はいろいろあります。先生や仲間にアドバイスをもらうこともあります。その指摘を聞いて、「そうか、そう書けばいいのか」と信じ、いつの間にか「こう書くべき」と思い込んでしまうことがあります。たしかに、そう書いたほうがいい場合もありますが、他の作品には当てはまらないこともあります。
私が気になる「こう書くべき」を挙げてみました。

起承転結で書くべき
「起」で話を起こし、「承」でそれを受け、「転」で変化を与えて発展させ、「結」で全体を締めくくる。起承転結は漢詩の構成法の1つですが、日本語の文章の組み立てとして教わった方もいるかもしれません。
起承転結を、作品の構成要素として捉えてみましょう。「転」は、いわゆる話の山場で、その作品の中で自分が伝えたいことと言えます。その山場を伝えるために、背景や人物の説明が必要となる。それが「起」や「承」の部分ですが、「起承」がつながっていることもあるでしょう。どう感じたか、その結果どうなったかが「結」となります。
しかし、エッセイを起承転結の順番で書くべきと思い込む必要はありません。エッセイの構成は自由です。「転」ともいうべき出来事から書き始めることも可能ですし、結びの部分から書くこともできます。また、「結」をしっかり書かなくてはという思いから、最後に不要な「まとめ」を長々と書かないよう、気をつけたいものです。
起承転結の要素は構成上必要ですが、その順番も分量も自由です。読み手に伝わるように、話を進めましょう。

一文は短くするべき
一文が数行に渡ると、たしかに理解しづらく、読みにくくなります。文中の主語がいつの間にか入れ替わってしまい、いっそう読みにくくなる場合もあります。また、長い一文には、たくさんの情報が入り込み過ぎる傾向もあります。
そういう意味では、一文は短いほうが読みやすい。けれども、短い文だけの作品からは、ぶつぶつと途切れた印象を受けることがあります。
読みやすく意味が伝わりやすければ、長くてもいいのです。長短をうまく織り交ぜてみてください。

●冒頭は、短い一文で、かつ改行すべき
テクニックとしてお勧めではあります。冒頭から長々書いてあると、読む気を削がれます。避けたいのは、そのエッセイの設定(日時、背景、場所、登場人物など)の多くを、冒頭の一文に入れ込んでしまうこと。情報を早めに出すことはだいじですが、盛り込み過ぎはいただけません。
そういう意味では、冒頭の文は短めに。そして、読者を引き付けるために、一行だけで改行という手もあります。けれども「すべき」ことではありません。読みやすければいいのです。自由に始めてかまいません。

*私の想像ですが、向田邦子さんの随筆には冒頭の一文が短くそして改行という例が多いので、それがエッセイのお手本として広まったのではないでしょうか。あくまでも私見ですが。

●セリフを入れるべき
セリフには、地の文による説明とは違う効果があります。セリフ1つで、その場の雰囲気が伝わったり、その人物の人となりが見えてきたりします。また、「 」のセリフを入れることで紙面に余白ができ、読み手にとって目にやさしく読みやすくなるのも事実です。ですから、セリフを入れましょうとアドバイスすることはよくあります。しかし、セリフは入れすぎるのもよくない。セリフで話を展開するより、地の文で短く説明したほうが、よほどわかりやすいこともあります。
もちろん、作品にセリフを入れなくてもいいのです。入れられない場合もあります。自分の思考だけで進める作品もあります。セリフがないと悩むことはありません。

孫とペットのエッセイは書くべからず
孫やペットについて書くと、そのかわいさ、愛くるしさなどをついつい書き過ぎてしまい、筆者の猫かわいがりぶりが読者の鼻に付く、という作品が実は少なくありません。その注意喚起のための「書くべからず」ですから、書いていいのです。そのときに、よく考えてくださいね。読者はそれを読みたいだろうかと。

エッセイはもっと自由であっていいと思います。「こう書くべき」に縛られず書きましょう。唯一の「こう書くべき」は「読み手に伝わるように書くべき」、この一点ではないでしょうか。