受け入れるタイプ

 マンションのエレベーターが新しくなった。5階建てなので、工事中の1カ月間は多くの居住者に不便をもたらしたが、やはり新しくなるといいものだ。階数のボタンは凹凸式になり、低い場所にもボタンが付き、手すりも設置されて、少しはバリアフリーになった。
 一番の変化は、ボタンパネルの上に液晶ディスプレイが取り付けられたことだ。緊急時にはセンターとやりとりできるらしいが、通常は短いニュースが流れている。
 エレベーターに乗ると、ついディスプレイに目が行く。何となくニュースを読み出すのだが、タイトルと本文の2行目くらいまで読むと、次に切り替わってしまう。毎回、残りの3行は読めずじまいだ。4階から1階まで利用する間に、3本ほどのニュースに触れ、どれも中途半端な理解のまま、エレベーターから降りる。なんだか悔しくて、「よし、速読の練習だ」と、1つ1つの文字を追っていくのをやめて、全体を写真的に眺めてみたり、1行単位でざっと読んでいってみたりと、試行錯誤中だ。
 人によって感じ方は違う。新しいエレベーターについてのアンケート結果に、「映像の切り替えが早すぎて読めないから、もう少しゆっくり流してほしい」という要望があった。
 こういうとき、私は現実のあるがままを受け入れるタイプであることに気づかされる。あまり文句を言わない。異を唱えず、心の中で消化してしまう。無理にそうしているわけではない。許容範囲が広くておおらかという長所とも言えるだろうが、主義主張がないようで、自分がいやになることもある。
 だからこそ感じるのかもしれない。世の中を変えていくのは、現実を受け入れたくない人の強いエネルギーだ、特に女性の社会進出においてはそうだと。女性初の地位に就いた人は、なぜ男性だけなのかとか、自分の好きなことを女性という理由でできないのはおかしいなどと、現実に対して疑問を持ち、声を上げる。それが突き進む力になる。政界、法曹界、スポーツ、ビジネスなど、どの世界でも女性の先駆者の苦労は並大抵のものではない。そうしたエネルギーを持つ人を尊敬し、羨ましくすら思う。
 そう思いつつも、私は自分の生き方に異を唱えることなく、これまでどおり生きていくだろう。