エッセイグループの同窓会
2001年から講師として関わっていた、女性だけのエッセイグループが、2018年3月をもって閉会した。メンバーのそれぞれの事情が重なり、卒業という形を選んだのだ。
1年後の春、同窓会をしようという声があがった。しかし、そこはエッセイグループ。
「ただ集まっておしゃべりするのが、われわれの同窓会ではありません。当然、エッセイの合評もかねております。新作エッセイをご持参のうえ、ご参加ください」
というメールが送られてきた。合評できるように、レストランも個室を抑えたとのこと。
このグループは、自由に楽しくエッセイを書いてきた。文章には遊び心やオシャレ心も忘れない。見え方もエッセイの一部だからと、フォントや文字数などのレイアウトには各自の好みが反映されている。合評でも真剣な意見が飛び交う。そして、互いを尊重し合っている。褒めるときは心の底から褒め、意見があれば遠慮なく伝える。良識ある面々は傷つけるような発言はしない。ゆえに、みな素直に相手の意見を聞く。だからこそ、17年間続いてきたのだろう。
さて、同窓会の席で話を聞くと、卒業後はエッセイを書いていない人が多かった。1年ぶりのエッセイは書き上げるのに時間がかかったようだが、それでも、長年にわたって磨いてきた感性は衰えていなかった。物事の捉え方そして構成が、やはり書き続けてきただけのことはあった。
食事を楽しみつつ、自分のエッセイを小さな声で朗読し、感想を述べ合った。久しぶりの合評に、みなの顔は上気していた。エッセイを書いて仲間に読んでもらう楽しみを、また味わうことができた。そういう表情だった。
かつて、メンバーの1人が、このグループは高尚な井戸端会議のようだと言ったことがある。エッセイの合評は、ただ寄り集まっておしゃべりするのとは違う。書くときは悩み、書き上げたときは喜ぶ。合評で褒めてもらえば嬉しい。意見をもらえばそれも嬉しい。仲間の作品を読むときは脳がフル回転、言葉にまとめて相手に伝える緊張。傍目には単におしゃべりしているだけのように見えるかもしれないが、この井戸端会議にはそんな諸々が詰まっている。
次の同窓会は夏に行われる。もちろん、エッセイを書かないとその会には参加できない。