家にいて思うこと
新型コロナウイルスの脅威が全世界に広まっている。日本でもついに4月7日に緊急事態宣言が発せられる。
テレビの情報番組やネットニュースの情報から目が離せない。総理大臣や都知事の声明は必ず聞く。偽情報が飛び交うから情報番組は見ないという知り合いもいるが、私は不要不急の外出を控えて家にいる時間が長く、ついついテレビリモコンやスマホに手が伸びる。
新型コロナウイルスに関する動画もいろいろアップされている。有名スポーツ選手は、「STAY HOME」と強いメッセージを出したり、家でこんなトレーニングができますよとお手本を見せたりする。手の洗い方を歌に乗せて教えてくれるアイドルグループもある。歌の上手い人は、替え歌で気をつけようと呼びかける。
私のような名のない者の書くエッセイは、こういう時に何かの役に立つだろうか。他人の役には立たないにしても、自分の記録の意味で今の気持ちを文章に残しておこうかとも思う。なるべく出歩くな。人と接近するな。買い物も必要な食料品だけ。散歩もなるべく人を避けて。花見は来年やりましょう。そのくらいの自由が奪われるだけで、心が鬱々としてくる。そんな心境を書いておこうかと、ちらと考えるが、どうしてもそれを書く気にはなれない。
東日本大震災の時にも同じことを感じた。東京で遭遇した私の経験は、東北地方のまさにその渦中にいた人々と比べれば、まったくちっぽけな、取るに足らない内容だった。当日ちょっと怖い思いをして、家に帰るのが大変で、数日のあいだ不便な思いをした、その程度だ。それを書くことに意味があるのだろうか。エッセイ仲間で、そうは言っても大変な思いはしたのだからと、みんなで「あの時」について書いたことがある。それぞれにストーリーはあり、不安や恐怖を感じてはいるのだが、やはり深刻な被災をした人に比べてみたら、本当に大したことのない話ばかりなのだ。
そういう思いが今もある。新型コロナに命を奪われてしまった方々。重症で苦しむ患者が大勢いる。医療崩壊とも言われるほど過酷な状態で闘っている医療従事者たち。その他にも対応の最前線で尽力する人々がたくさんいる。そのようすを聞くと、自分は申し訳ないほど平和の中にいることがわかる。ただ家にいることを我慢すればいいだけなのだ。世のため家族のため自分のため、自分が感染しないように、ただそれだけが役目の私には、今のところエッセイに書くことは何もない。
窓から外を見やると、青い空には薄い白雲がいくつか浮かび、柔らかい陽光が時折道行く人を包む、いつもの春の一日であった。