本の整理
マンションをリフォームすることになった。家にあるモノを整理する絶好の機会と思い、断捨離を進めている。
リフォームの担当者に言われた。わが家には紙のモノが非常に多いそうだ。言われてみれば本棚が7台ある。最近読んだ本だけでなく、若い頃読んだ本、息子たちに読み聞かせた絵本、過去の旅行のガイドブック、夫の大学時代の本、息子たちが置いていった本やマンガ、家族のアルバム。エッセイ関連の紙の束もけっこうある。
いる・いらないを判断するのには時間がかかる。若い頃夢中になった本や買っただけで読んでいない本。いつか読むだろうか。絵本を開くと、目をきらきら輝かせて聞いていた子どもたちの姿がよみがえる。自分はわりと思い切りがいいと思っていたが、棚から出したり戻したりで、整理はなかなか進まない。
次男が使っていた部屋に置かれている本棚には、今もマンガがずらりと並ぶ。作り付けの収納棚の中もマンガでいっぱいだ。
リフォーム担当者が言う。
「息子さんがいるお宅に伺うと、必ずと言っていいほど、こんなふうにマンガがあります。でも、それが実家というもので、置いておくことで息子さんも安心するのでしょう。マンガ用の場所も確保しましょう」
目立たない場所に専用の棚を作ることになった。
それにしても、いくらなんでも多すぎるので、次男に整理するように言った。
仕事が休みの日にやってきた次男は、置いておきたいものは本棚にそのまま残し、自分の家に持っていくのを自分のカバンに入れ、ほかは段ボール箱に詰めていった。段ボールは買い取り業者に送るためのものだと言う。箱はどんどん埋まっていく。そんなに処分しちゃうの? 好きで買ったのだから、そこまで手放さなくても……。整理しなさいと言っておきながら、子どもの気持ちを思う親心が顔を出して、思わず声をかける。
「全部処分しなさいと言ってるわけではないからね」
「俺だって頑張って断捨離してんだよ。もう読まなくていいのもあるからね」
彼は淡々と作業を続け、あっという間にダンボール箱が3つ出来上がった。スマホで買い取り業者に依頼して、
「明日、この箱を業者が取りにくるから、渡しておいて」
と、玄関に並べた。仕事が早い。これが若さだなと感心する。
やることはやったとばかり、息子はさっさと帰ろうとする。
「ちょっと待って。ほかの棚に残っている本とかはどうするの?」
彼はぱっと見回して、
「このドリトル先生の本だけ残して、あとは全部捨てていいよ」
「え、夏休みの自由研究で作った絵本もいらないの?」
「いらない、いらない。捨てていいから」
そう言い残して、帰っていった。小学2年の自由研究で、夏の北海道旅行をもとにストーリーを考えて、絵本に仕上げた。あんなに楽しんで作っていたのに……。
しかし思い起こせば私も、自分のモノは「いらない」と母に言っていた。息子の言動は、昔の自分を見ているようだった。
母が70代になる頃、やはり家の中のモノを片付けていた。昭和一桁世代の母にとって「捨てる」のは最後の最後で、誰か必要としていないか、引き取ってくれる人はいないかをいつも考えていた。思い出があって手放せないモノもたくさんあった。本に関しても同様で、実家に行くと「これはあなたが持っていて」と渡されたことも多い。片付けがはかどらない母の様子を見て、そんなに時間をかけずに、もっと割り切って決断すればいいのに、と思っていた。「私のモノはみんな捨てていいからね」と、何度も伝えた。
それから20年後、母亡きあとに整理をしたら、私の幼い頃に描いた絵や学校時代のノート、そして高校のころ私が作った人形や洋服まで、何箱も出てきた。母は娘の思い出残るモノを捨てられなかったのだ。
その母の年齢に近づいている私は、このリフォームを断捨離の大チャンスと捉え、心を鬼にしてでもモノを減らそうとしている。しかし、息子たちの子ども時代のモノは、思い出が詰まっているだけでなく、母親としての私の記録でもあるのだ。
何日かして息子に伝えた。
「夏休みの自由研究の絵本、やっぱり残しておくよ」
息子は、あの頃の私のように、母親を見ていることだろう。