気楽にいこう
「どう? いい句は作れた?」
俳句を始めて半年ほどの友人にようすを尋ねたら、どうも表情がさえない。
「それがね……毎月の会で良いと思う句をみんなが選ぶんだけど、まだ一度も選ばれないのよね。一生懸命頭をひねって、これぞという俳句を提出するんだけど……」
初心者がすぐに選ばれる句を作れるほど簡単ではないだろうが、自分なりにうまくできたと感じた句が選ばれないと、やる気がそがれる。その気持ちはよくわかる。
その数ヵ月後、彼女はフフッと笑みを浮かべて教えてくれた。
「この前、選ばれちゃった。あまり深く考えずに軽い気持ちで作ったら、その句が!」
よかったねえ~と一緒に喜びながら、私は自分がエッセイ教室に通い始めたときのことを思い出していた。最初に提出した作品には、外国で体験したイベントについて書いた。目に焼き付いている楽しかったあれこれを、ぜひ最初のエッセイに残しておきたかった。外国の話なので説明が必要だったし、楽しかったことを列挙して説明し、エピソードも1つ加えた。自分ではうまくまとめたつもりだったが、エッセイ教室での反応は違った。
説明が多すぎて、楽しさが伝わらない。楽しさはエピソードに語らせるように。
何作か続けて同様の合評を受けて、どう書けばいいのかわからなくなった。締め切りの間際になっても書けず、時間も心も余裕がなくなり、セリフを入れた軽い感じのものをささっと仕上げて提出した。
それなのに、教室ではみんなに褒められた。そして、気づいた。これを書きたい、いい作品にしたいという気持ちが強すぎて、自分をがんじがらめにしていたせいで、かえって思いが伝わらなかったのだ。
この経験を彼女に話すと、そういうことだったのねと納得したようだった。
「俳句も同じね。気楽にがんばるわ」