いい名前ですよ

 書棚を整理していたら、思いがけない場所からコラムの切り抜きが出てきた。だいぶ前にもらったもので、大切に取っておいたはずなのに、いつの間にかどこかに潜ってしまっていた。

以前、「私の名前」というタイトルで、エッセイを書いたことがある。
 私は自分の名前の漢字を問われると、
「天下泰平の泰に、子どもの子で、泰子です」
と説明する。「泰」を伝えるために他に考えられる熟語は「安泰」「泰然自若」などで、どれを取っても、「どっしり」「ゆったり」「落ち着きのある」意味だ。どうして、もっと可憐な漢字を選んでくれなかったのだろうと、若い頃は親を恨めしく思ったこともある。そういう内容だった。
 このエッセイを読んだ人が、切り抜きを私にくれたのだ。轡田隆史氏の短いコラムで、端に手書きで「PHPの4月号」と書かれていた。
 轡田氏は「祈天下泰平」と書かれた絵馬を見て、「泰」という漢字の複雑な姿が気になった。辞書で調べてみると、「水」に落ちた人をたくさんの手で引き上げて、ああよかった、これで安心だ、という意味を示しているらしい。コラムにこのようなくだりがあった。
「この話を読んだとき、松本さんに見せなくてはと思ったのよ。親御さんはいい名前を付けてくれたようですよ」
 そう言いながら切り抜きをくれたのは、実は私のエッセイの師である。20年以上、その師のもとでエッセイを習っている。
「いい名前を付けてくれたようですよ」という言葉に私はハッとした。「親を恨めしく思った」とまで書いたことに対して、「それはちょっと書きすぎですよ」とやんわり告げられたような気がした。師の穏やかな眼差しはそう諭しているようだった。そのアドバイスを忘れないよう、切り抜きを大切に持っていようと思ったのに……。