母の記憶、娘の記憶

小さい頃は、何かあればすぐにべそをかく、泣き虫な女の子だった。それはよく覚えているが、泣いたときの前後の状況はまったく記憶にない。また、こんな私を親はどう見ていたのだろう。
母に聞いてみると、少し考えてからこんな答えが返ってきた。
「そうだったかしら? あなたが泣き虫だったイメージはないわよ」
しっかり思い出してほしくて、質問を繰り返す。
「そうなの? 私が覚えている私は、いつもお姉ちゃんの後ろにくっついているような子で、何かあるとグスングスンってなってたけど、そういうことはなかった?」
「泣いている姿は覚えてないわねえ。あなたは、お砂場で遊んでいるとき、周りのみんながワーッとどこかに駆け出して行っても、1人残って黙々とお砂で遊んでいるような子だったのよ。付和雷同の反対は何と言うのかしら、周りに影響されないしっかりした子と思っていたわ」
母にとって幼い私は「しっかりした子」で、私は自分を「泣き虫な子」と思っている。

昔の話をしていて、互いの記憶がかみ合わないことはたびたび起こる。
家から坂を下りたところに小さな定食屋があり、持ち帰り客用に揚げたてのコロッケやアジフライを売っていた。土曜日の昼のおかずに、小学校低学年の私は母に頼まれて買いに行った。電子レンジがなかった頃で、温かいアジフライと食べると冷たいご飯もおいしく感じたことを思い出す。
あの店によく買いに行ったよねと言うと、母はため息交じりに答えた。
「やあね、あそこでフライを買ったのは、ほんとにたまのことなのに、そうやって覚えていて、私が毎日毎日ご飯を作っていたことは忘れてしまうのね」
忘れているわけではない。けれども、今のように惣菜を買ってくる時代ではなかったし、外食もほとんどしなかったから、よけいにそのフライのことが頭に残っているのだろう。

小さな私の毎月の楽しみが、母の記憶にまったく残っていないこともあった。
毎月発売されていた『鉄腕アトム』の漫画。姉と一緒に文房具屋さんに買いに行く。漫画も楽しみだったが、読む前にはまず雑誌に巻いてある帯のシールの争奪戦が行われた。アトムやウランちゃんなど10個くらいの絵を、姉とじゃんけんで勝ったほうから先に切り取っていく。一番人気は、帯の合わせ目で、シールの台紙が二重になっているところ。絵柄に関係なく、その二重の台紙部分が欲しくて、じゃんけんに力が入った。
小学1年生の頃だから、母の目の前でシール争奪戦を繰り広げていたと思うのだが、母はアトムの漫画雑誌を取っていたことさえ覚えていないと言う。わが家は親の教育方針で、テレビや漫画はあまり見せてもらえず、私は『鉄腕アトム』がとても待ち遠しかったのに。

立場や思いが違うと、同じ事柄でも違う記憶として残る。それはよくわかっているつもりだが、時々その違いの大きさに驚き、こうしてエッセイに書き残しておきたくなる。