エッセイの力 ~それぞれの記憶~

ある最近の出来事から、小さい頃のことを思い出して、以下のようなエッセイを書いた。

私はいつも姉の後ろにくっついているような子だった。活発な姉は小学校から帰るとパッと外に飛び出していく。私も姉の後を追って外に出る。缶蹴りで鬼に捕まると姉が助けに来てくれた。姉が公園でブランコを大きく漕ぐのを感心して見上げた。姉の後ろにいれば安心だった。私を守ってくれるヒーローだった。

2歳半年上の姉に「こんなことを書いたよ」と見せると、「へええ、そういうふうに私を見ていたのね」と驚く。しかも、書かれているエピソードは何一つ覚えていないと言う。
たしかに、同じ事象を見ていても、覚えていない人もあれば、よく覚えている人もいて、それだけでなく、記憶に残っている箇所が全然違うこともある。私は姉の背中をじいっと見ていたから覚えているが、姉は後ろにいる妹より、前に広がる外の世界を見ていたのだろう。

そのエッセイには、私が姉とは違う小学校に入学することになるというエピソードも出てくる。姉は自分が妹を学校に連れて行って面倒を見てあげるつもりだったのに、それができなくなって、「私が面倒をみるんだから! そっちの学校を断って!」と、親に必死になって訴えたという内容だ。
姉はそのことも覚えていない。私にとっては、とても大事な出来事で、ずっと心に大切にしまっておいたことなので、姉が覚えていないと知りちょっぴり寂しかった。

それから1ヵ月ほどして姉に会ったとき、「思い出したわよ」と姉が話し始めた。
「違う小学校に行くことになったとき、いやだ!っていう怒りみたいな気持ちがあったの。それを思い出したのよ。まったく覚えていないと思っていたけれど、心の中には残っていたのね。奥のほうからもやもやと何か出てきたと思ったら、そのときの怒りだったわ」
このエッセイを読んでから、ずっと考えていてくれたようだ。

今まで思い出しもしなかったことが、エッセイを読むことによって、記憶のどこかを刺激して、そのときの気持ちがじわじわと蘇ってくる。
エッセイにはそういう力がある。このことをエッセイに書いてよかった。
エッセイの力を再認識してうれしくなった。