思いを伝えたい

 1990年前半、夫の転勤でアメリカのミシガン州に暮らしていた。インターネットはまだ一般のものではなく、その地にはテレビの日本語放送もなく、日本の情報は、夫が会社から持ち帰る新聞だけが頼りだった。
 日本から送られてきて、社内で回覧が終わりもう捨ててよいとなってから、2週間分、時には1ヵ月分をまとめて持って帰ってくるので、情報は月遅れもいいところだ。それでも、日本語を読み、日本のようすを詳しく知ることができて、いつも心待ちにしていた。子育てに忙しい時期で、すべてをじっくり読めるわけではなかったが。
 ある日、新聞をめくっていたら、見覚えのある名前が飛び込んできた。小学校の低学年のときの校長先生の名前だ。ほかの校長先生のことはあまり覚えていないが、この先生だけは心にしっかり残っている。朝礼の話が低学年にもわかりやすく、そしておもしろかった。休み時間にも廊下や運動場を歩き回り、やさしい笑顔で声をかけてくれた。大好きな先生だった。その名前が、訃報欄に載っていたのだ。略歴を読んで、同一人物であることがはっきりした。
 異国の地で手に取った新聞の、いつもは気にもしない訃報欄で見つけるなんて、何という偶然だろう。いや、何かの巡り合わせとしか思えない。ご家族に手紙を書いて、すばらしい先生だったことを伝えたい。
 そう思ったのに、熱い気持ちになって文面まで心に浮かんでいたのに、結局、日々の家事や育児に追われ、日にちだけが過ぎ去り、連絡先が書かれていた訃報欄の新聞もどこかに行ってしまった。

 30年たった現在も、手紙を書くのには時間がかかり、すぐに数日が過ぎてしまう。そのたびに、この出来事が「思いは言葉として発しなければ相手に伝わらないよ」と私を促す。最近は手紙にこだわらず、メールも利用しながら、言葉を届けることを優先している。