今年こそ会いましょう

『ことばから誤解が生まれる』という本を読んでいる。著者は日本語学者の飯間浩明氏だ。文章において、たとえば語順や読点の位置によって読み手が誤解することは、私もよく知っている。飯間氏はさらにいろいろな場面を文例と共にやさしく解説する。
「また今度」ということばが、外国人に誤解されやすい例として出てきた。日本人はそれが具体的な「今度」を意味しないと知っているが、外国人は「また今度会うと言われた。いつだろう」と受け止めて、誤解が生まれる。
 それで思い出したのは、毎年私が年賀状に書く「今年こそ会いましょう」ということばだ。どういう意図で私は書いているのだろう。
 会いたいのなら会えばいいのに、次の年にも同じことばを書いている。年賀状の余白を埋めるために書いているだけなのか。いや、会いたい気持ちはある。そのことばを書く相手は、若い頃の親しい友人や子育て時代の仲間だ。私の人生のどこかで深く関わっている人々だ。
 いつでも「会う日を決めましょう」と言えるのに、長く会わないでいると、それを言い出すきっかけを見つけられなくなってしまう。そのまま、年月が過ぎ、現在に至っているのだ。
 しかし、今年の年賀状で「きっかけ」を発信することができた。私がこれまで書いてきたエッセイをまとめた本『あの日のスケッチ』が、昨年末にできあがった。年賀状でそれを知らせ、その後本を送ったところ、届いたことや感想を伝える連絡が次々に送られてきた。メールや手紙、電話でも。それぞれに私は尋ねた。
「ぜひ会いましょう。いつ会いましょうか?」
 1月と2月で4つのグループと会って、懐かしの再会を果たした。長年会わなかった分、話もはずむ。これからはちょくちょく会おうねと、次回の予定まで決まった仲間もある。
 そして、新型コロナウィルスの感染が広がり、不要不急の用事は自粛することになった。3月に再会を予定していた人々には、また「今年こそ会いましょう」と年賀状に書くことになるのだろうか。