思い出のなかの二人

 書棚の整理をしていたら、小振りの冊子が出てきた。タイトルは『女の友情 いつのまにか半世紀』。2003年頃、所属するエッセイグループが「聞き書き」という活動に取り組んだとき、私が担当して作成したものだ。その活動は、年配の方に話を聞き、文章に書いてまとめ、小さな自分史制作の手伝いをするという内容だった。
 グループ代表の木村治美先生の紹介を受け、女性二人を訪ねた。長年の友人同士が、80歳を過ぎてから一緒に老人ホームに入ったという。
 小柄な春子さんは、首にふわっと巻いたスカーフが似合う、おしゃれな方だ。少し早口で話題が次から次へと出てきて、引き込まれる。誰にでも気軽に話しかけるそうで、「あこがれの木村治美さんとも、講演会に行った帰りに声をかけたことがきっかけで、細く長く交流が続いているのよ」と話す。
 文江さんは豊かな白髪に黒縁のメガネがかっこいい。春子さんの話があちこちに飛ぶと、「こういう意味なのよ」と教えてくれる。名前のとおり、文章を書くのが好きと言う。手紙はすべて文江さんから、万年筆の細かく美しい字が届いた。
 夫の転勤で地方に住んでいたとき、子どもの幼稚園で出会った、いわゆるママ友同士だ。気が合って、家族ぐるみの付き合いが続いた。互いの夫が亡くなり、子どもたちに老後の面倒をかけたくないと、まだ余力のあるうちに荷物を整理してホームに入る決断をした。8畳ほどの一人部屋は隣同士だが、必ずノックして入ると決めている。友情が続いているのは、金銭の貸し借りをしなかったからだとも言う。
 二人を見ていて羨ましくなった。私には、老後も一緒に暮らそうとまで思える友人はいない。しかし、同じ頃に逝きたいわねという会話を聞くと、いつか来る別れに耐えられるのかしらと心配にもなる。
 話に何度も出てきたのが、銀座だ。それぞれの住まいのちょうど中間に位置する銀座で落ち合い、一緒に映画を見て、食事をして、街をぶらぶらして、月刊の情報雑誌『銀座百点』をもらって帰る。それが、毎回のお決まりコースだった。ホームに越してからも、時々出かけるそうだ。
 この聞き書きでは、私が話を聞くだけでなく、二人が思い出をレポート用紙8枚にわたり文章に書いてくれた。それらを合わせて編集し、32ページにまとめて、ローズピンク色の表紙をつけた。冊子を読み終えた文江さんからの手紙には、感謝の言葉とともに、「あらためて活字になりますと、面はゆいような照れくさいような、また誇らしげな気分もちょっとします。近頃自慢することの何もない私は嬉しゅうございます」と書き添えられていた。
 その後は、私が年賀状を送り、文江さんから近況を綴った返事がくるという付き合いが続いた。数年後、春子さんが亡くなったと知らせが届き、胸の震えを抑えながらお悔みの手紙を書いた。その後も毎年の返事は送られてきたが、だんだん字が細く頼りなくなり、2016年は返事が来なかった。

 今回、冊子を読み返し、二人のおしゃべりがよみがえってきた。
 書棚からは当時の『銀座百点』も出てきた。「わたしの銀座」という読者欄に、写真付きでそれぞれの400字の文章が載っている。できあがったばかりの聞き書きの冊子を私が編集部に送り、銀座好きの素敵な女性がいると伝えたところ、二人に寄稿依頼がきた。
「何十年も愛読していた雑誌に文章が載るなんて」
と、電話口から聞こえたはずんだ声が、今も耳に残っている。