呼び方の変化(2)

前回の今月の話題「呼び方の変化(1)」において、昔のことを振り返って書くときに当時使われていた呼び方を使うと、その頃の雰囲気や時代性が文章から伝わってくる、という話を書きました。
その際、現在は差別的表現であるとして使わない言葉を使ってもいいのか、という点について、特に「スチュワーデス」「看護婦」という言葉に関して、私自身に迷いがありました。そこで、エッセイ仲間はどのように考えているのか意見を聞いてみることにして、前回の記事は終わりました。

ちなみに、差別語とは「特定の人を不当に低く扱ったり蔑視したりする意味合いを含む語」と、広辞苑第6版では説明しています。人種や国籍、心身機能、性別、宗教、職業などに関して差別や否定する意味をもつ言葉をさします。

エッセイ仲間に、勉強会や合評の席で意見を聞いてみたところ、人によって考え方はさまざまでした。厳しく捉える人、そこまで厳密にしなくてもいいと思う人、発表する媒体にもよると言う人、セリフだったら使ってもいいのではないかと限定使用を考える人。「スチュワーデス」「看護婦」については、他の差別語と分けて考えてもいいのではないかという意見をわりと多く耳にしました。
意見を紹介します。
どれも使わない
現在使うべきではないとされている差別語は、いくら昔のことを書くのであっても絶対に使いたくない。「スチュワーデス」や「看護婦」も使わない。
・作品の最後に「断り書き」を入れて使う
差別語を使うことが、その作品で描く時代を示すために本当に必要であれば、使う。そして、作品の最後に、「現在は差別や偏見を助長するとして使用しない言葉だが、本作品においては必要と思われるため、あえて使用した」という意味の断り書きを入れる。
断り書きは文中に書く程度にする
断り書きを作品の最後に書く必要はない。「当時はこういう言い方もしていた」という内容の文を文中に加えるくらいでよい。「スチュワーデス」については、「スチュワーデス、今でいう客室常務員」のような書き方で十分ではないか。
「スチュワーデス」「看護婦」は別扱いでいい
「スチュワーデス」「看護婦」はあこがれの意味で使うこともある言葉だから、差別語と同じレベルで考えなくていい。断り書きは不要で、そのまま使って問題ない。

意見を大きく4つに分けましたが、細かいニュアンスはそれぞれに違いました。
差別語への向き合い方は、人によってさまざまで、正解は一つではないようです。とはいえ、文章を書く際には、差別語への意識はきちんと持って、言葉を選びたいと思います。

*差別語については、以前の「今月の話題」の「差別語について」でも触れています。