魚好きの家族

 夫が「これ見て」とメールを見せてくれた。
「昔、君がうちで夕食を食べたときの魚の食べ方、今でも両親と話題に上ります」
 サラリーマン時代の同期と久しぶりにメールのやりとりをしたら、この文が最後に書かれていたそうだ。夫によると、入社して知り合いになった彼の家で夕食をごちそうになり、アジかなにかが出た。その食べ方を見て彼も親も驚いたらしい。
「45年も前の話なのに、いまだにとはね」
「そりゃ印象に残るわよ。私も驚いたよ」
 結婚してすぐの頃、焼き魚を出した。やはりアジだっただろうか。私があまり食べたくない皮の部分や、食べられるとは知らなかった目玉を、夫はおいしそうに口に入れた。背びれ側の小さな短い骨に付いている身も、口の中でじょうずに剥がし、細い骨は「これは食べられるな」と言いながらかみ砕いた。皿には背骨部分の硬い骨しか残らなかった。
 夫は有明海に近い場所で生まれ育った。毎日魚屋から「今日はどうしますか?」と電話がかかり、母親がその日のお勧めを頼んでいたそうだ。
 結婚して夫の実家を訪れると、毎晩、白身の刺身が出てきた。新鮮だと硬くて歯ごたえがあると知った。そして、「魚っておいしい!」とはじめて感じた。クチゾコという舌平目に似た魚も毎回登場した。義母はそれを醤油とみりんで濃いめに味付けて煮る。身は真っ白で柔らかい。魚自体の厚みはあまりなく、背びれに近い小さな骨に付いた身は、アジ以上に食べにくい。でも、なんとしてでも食べたくなる。夫は小さい頃から、こういう魚を食べてきた。おいしさを知っているからこその、食べ方だったのだ。
 私の育った家では、切り身の煮つけや干物は出てきたし、母の手料理は好きだったが、魚をそれほど食べたいと思ったことはなかった。両親が海のない地で育ったという環境が、食生活に影響したかもしれない。また、私の育った昭和30年代頃の冷凍や流通の技術では、東京で手ごろな値段のいい魚は手に入りにくかっただろうことも想像できる。
 わが家の息子たちは、毎年訪れる夫の実家で、小さい頃から魚のおいしさを知ったおかげか、父親同様、食べたあとの皿は硬い背骨だけ。きれいなものだ。私は「三つ子の魂百まで」なのか、今でもそこまで食べつくすことはできない。
 先日、家族4人で海鮮居酒屋に行った。メインはキンメダイの姿煮。30センチほどの大皿に載って出てきた。ふっくらとした白い身を、煮汁に絡ませて食べる。私以外の3人は目玉も食べたいが、2つしかない。
「今日は僕はいいよ。どうぞ」
「いいの? じゃあ遠慮なく」
などと言って仲良く食べる姿を見て、おかしくなった。なんだか幸せな気分だった。