文にあたる

『文にあたる』(牟田都子著 亜紀書房 2022年8月発行)をご紹介します。

著者の牟田さんは校正の仕事をしている方です。本が出版される前にゲラと呼ばれる試し刷りを読み、内容の誤りを正し、不足な点を補ったりするという仕事です。本書は、牟田さんが本と向き合うなかから見えてきた様々なことを綴ったエッセイ集です。

一般に趣味でエッセイを書いている場合、「校正」という作業をするのは作品集にまとめるときくらいでしょうか。いえ、よく考えれば、いろいろな場面で校正に似た作業をしています。自分の作品を推敲する際や、合評で互いの作品を読み合うときにも、表記や言葉遣いの間違いなどを指摘します。事実関係について質問することもあります。校正は意外と身近にあるような気がして、この本を手に取ってみました。

牟田さんは、1通のゲラを少なくとも3回読むそうです。「素読み」(文字や言葉を見る)、「調べもの」(固有名詞や数字、事実関係の確認)、そして「通し読み」の3回。何冊もの辞書にあたり、インターネットを駆使して調べ、百科事典や地図や古い本も見返し、ゲラに疑問点として書き込みます。自分が得意でない分野の事実関係はさぞ大変だろうと想像します。
校正で、誤字脱字などの誤植を見逃すことを「落とす」と言い、一つも落とさないことが求められます。常に100点満点の校正はむずかしい。かといって100点であっても、「この本の校正は素晴らしかった」と言われることはない。校正は黒子の存在です。

校正者がゲラに書き込んだ疑問点をどう処理するかは、本の著者に委ねられます。たとえば、
・観光船に乗って順に見えてきた高いビルについて書いた文章。校正者が、実際にどういう順番で建物が並んでいるか地図で調べたところ、文章上の順番が違うことが判明。しかし、著者はそれを書いたときの流れを尊重したいとして、直さなかった。
・「聴こえる」という表記は、辞書では「聞こえる」が正しいと校正者が疑問を出したが、筆者の思いとしては「聴」に近いとして「聴こえる」を選んだ。

これらの例はエッセイを書くときの参考になります。書き手がそのように書きたいという意思があるのなら、その書き方を選んでいいということですね。ただし、基本の書き方や事実を知らずに、ただ何となく、パソコンからその漢字が出てきたから、というのでは理由になりません。基本を踏まえたうえで、自信をもってその書き方を選ぶ。なかなか、むずかしいことですが。

本書のなかで衝撃だったのは、明らかに文法的な間違いがある文であっても、それが著者の目指す文章であれば、そのまま活字になるというくだりでした。
「私は一週間前に死んだ篠島が歩いていた」(保坂和志著『未明の闘争』講談社)
という文章。どう考えても、文法的におかしいのですが、著者はあえてこの文を書いたそうです。プロの作家なら可能でも、アマチュアのエッセイでは許されないだろうなあと思いました。

ついつい、エッセイに引き寄せながら本書を読んでしまいますが、校正という仕事を知るうえでも、読み物としても興味深い1冊です。