日本エッセイ小史

『日本エッセイ小史 人はなぜエッセイを書くのか』(酒井順子著 講談社 2023年4月発行)をご紹介します。

エッセイとは何か。エッセイ教室に新しく入会した人に説明するとき、私はいつも悩みます。辞書に載っている「自由な形式で書かれた、思索性をもつ散文」という定義では分かりにくく、日記でも小説でも詩でもないと消去法で説明するのも、どこか逃げ腰的です。
こうしたモヤモヤした気持ちに、本書は「エッセイという謎」という項目で答えてくれました。

文芸には小説や詩、評論、ノンフィクションという様々なジャンルが存在するが、「エッセイというジャンルは、際立って輪郭がはっきりとしていない」。「小説のようなエッセイ、詩のようなエッセイ、評論のようなエッセイ、ノンフィクションのようなエッセイがそれぞれ成立」していて、「どのジャンルとも混じりやすいという溶媒的な性格をエッセイは持っているようです」。
そのほかにも、
きわめて茫漠とし、つかみどころがないのがエッセイというジャンル」
「『エッセイとは何か』とは、言うならばこの千年間、答えが見つかっていない問題なのでした」
と述べています。

とはいえ、「心に浮かんだことをそのまま書くという、文章の最もシンプルな形態が、エッセイなのではないか」と考えた酒井さんは、どんなエッセイが書かれたかを見ることで、時代そのものも見えてくるだろうと期待し、日本のエッセイの流れをたどりつつ、「エッセイにまつわるエッセイ」を書き上げました。それが本書です。

以前は「随筆」と呼ばれていたのに、現在は「エッセイ」という呼び方が主流です。いつ頃そうなったのか。そもそも「エッセイ」と「随筆」は同じものか。「『随筆』から『エッセイ』へ」という項目で検証します。
昭和の戦後のどこかで呼び方は変化していきます。一説には伊丹十三『ヨーロッパ退屈日記』(1965年)が「随筆」を「エッセイ」に変えたと言われているそうです。1980年前後にはエッセイの世界で多くの新しい動きがあり、1985年には講談社がエッセイ賞を創設し、エッセイブームに沸きます。それでも、「エッセイ」「随筆」両者の定義を示す人がいなかったのは、わからないからなのだと思うと、酒井さんは考えます。

このような考察は、さまざまな切り口で行われます。「作家の娘のエッセイ」「食とエッセイ」「テレビとエッセイ」などの項目のもと、独自の視点でエッセイの流れを検証します。

私が特に興味をもったのは、「高齢者エッセイ」です。
人生80年と言われるようになった1980年代から、高齢者エッセイは目立つようになりますが、その頃は60代の作家が書いていました。
1990年代には永六輔『大往生』、赤瀬川源平『老人力』がヒットしますが、著者はやはり60代です。
2000年代には日野原重明『生きかた上手』がミリオンセラー。90歳のときの著作です。
「人生百年時代」と言われたのが2016年、2010年代以降は、佐藤愛子、瀬戸内寂聴、曽野綾子さんなど高齢の著者による高齢者エッセイがどんどん出てきて人気になります。女性の著者が書く高齢者エッセイは、「弱音も愚痴も吐きつつ粛々と老いを受け入れ、限られた気力体力の中で楽しみを見つけて生きる姿が描かれがちである」のに対し、男性が書く高齢者エッセイは、「新老人」や「老活術」など「新しい仕組みを提唱しがち」として、男女の著者の違いを解き明かします。

本書のおもしろさは、多くのエッセイの分析の妙にあります。巻末の作品一覧を見ると、実に160冊を超す本が本書に登場しています。酒井さんの読書量にも感心するのでした。
表紙がレトロな雰囲気で、それもまた素敵です。