形容詞を使わない大人の文章表現力
「形容詞を使わない大人の文章表現力」(石黒圭著 日本実業出版社 2017年11月発行)をご紹介します。
私が以前書いたエッセイに、「私には『すごい』という表現しか浮かばない。でも、本当にすごい。」というくだりがあります。オリンピック選手村のボランティア活動時に、選手たちのトレーニングのようすを見て感じたことを書く際に、「すごい」という言葉だけでは伝わらないだろうと思いながら、どう表現していいか考えつかず、「すごい」で終わらせてしまいました。
エッセイ教室でも、「おもしろかった」「おいしい」「高価な」と書かれていると、「どこがおもしろかったのか」「おいしさを具体的に」「高価とはいくらくらい?」と質問が出ます。形容詞だけでは読者になかなか伝わりません。具体的に詳しく書いてもらうと、読者にその場面が見えてきて、筆者の気持ちに共感できるのです。
では、具体的に詳しくとは、どのように書いたらいいのか。それに答えてくれるのが本書です。
第1部の第1章ではまず「すごい」が取り上げられていました。
強調するだけの形容詞なのに、なんでも直感的に「すごい」と使ってしまいがち。何がすごいのか、どうすごいのか、何がどうすごいのか。「すごい」の一言で片づけるのではなく、分析して詳しく書く必要がある。「すごい」は大雑把な表現なので、もう少し繊細な、イメージの沸きやすい語彙選択をするとよい。
おいしさを伝えるには、直感的に「おいしい」と書くのではなく、おいしい様子を丁寧に描写する。しかし、おいしさを表す味覚は、動きや変化に乏しく、動詞による描写には限界がある。そこで活躍するのがオノマトペだ。「ぐつぐつ」「カリカリ」「シャキシャキ」など、おいしさの一つ一つの局面が食感と共に伝わり、また季節を感じさせることもある。
第1部は、このように「直感的表現から分析的表現へ」について文例を挙げて説明されています。
第2部は「主観的表現から客観的表現へ」として、まずは「多い」「少ない」が例として出てきます。数量を表す言葉は多分に主観的にまた相対的に使われることが多く、明確な基準を示して客観的な基準を添えることで内容が的確に伝わる。「賛成する人が多かった」ではなく、「過半数が賛成した」「9割が賛成した」とすれば、はっきりする。
副詞にもあいまいな表現があるという例で、頻度を表す言葉を取り上げています。
「いつも」「ほとんど」「よく」「しばしば」「ときおり」「たまに」「めったに」「まったく」という順序で頻度が低くなる。ところが、「副詞の頻度は、正確な数値に基づくものではなく、心のなかの期待値と現実のギャップを表す主観的な表現であるため、強意の方向に進んでしまう」そうだ。
・父はめったに一緒に遊んでくれない
・父はたまに一緒に遊んでくれる
上記の例文は、両方とも2、3か月に1回は遊んでくれるのかもしれないが、書き手が父親ともっと遊びたいという期待が強ければ、「たまに」ではなく「めったに」を選んでしまうらしい。
クールな頭で正確な頻度を計算して対処せよと言われても難しそうです。
第3部では、「直接的表現から間接的表現へ」として、「嫌い」「まずい」というネガティブな表現をストレートに出さず、表現をマイルドにすることを提案しています。また、ネガティブな言葉を使うと自分もそれに縛られてしまうとも筆者は警告します。
エッセイではこういうストレートな表現を使うことをNGとはしませんが、文中で何度も繰り返されると、読み手としては読みたい気持ちがしぼんでくるのも確か。エッセイを書くときにネガティブな気持ちをどう表現したらいいのか、あらためて考えてみるきっかけになりました。
エッセイを書く動機の一つに、「楽しかった」「うれしかった」などの自分の気持ちを伝えたい、ということがあります。しかし、その気持ちを形容詞のまま伝えても読み手に伝わらないのはなぜか。本書ではこう説明されていました。
「私たちの感情自体がまさに、動詞によって描かれる出来事との出会いによって生まれてきたものだからです。形容詞は出来事の結果として生じた感情なので、その感情を表したければ、結果の原因となった出来事そのものを描くしかないのです」