ことばから誤解が生まれる

『ことばから誤解が生まれる 「伝わらない日本語」見本帳』(飯間浩明著 中公新書ラクレ 2011年5月10日発行)をご紹介します。

エッセイを書くにあたっては、読み手にわかりやすく、そして誤解を与えることなく伝えたいと、常々思っています。
読み手を誤った方向に導くことのないように、構成を工夫し(話の順番で誤解を生むこともある)、エピソードや登場人物を取捨選択します(詰め込みすぎると読者は混乱する。少なすぎてもわかりにくい)。それと共に、文そのものからも誤解が生まれないように、読点を打つ場所修飾語の適切な位置なども工夫します。エッセイを書く人でしたらよくご存じのことでしょう。

ですから、書店の棚に『ことばから誤解が生まれる』というタイトルを見かけたとき、思わず手が伸びました。著者の飯間浩明氏は日本語学者で、国語辞典編纂者として『三省堂国語辞典』の編集に携わっています。私は過去に飯間氏の著書『伝わる文章の書き方教室』を読んでいたので、わかりやすい解説を書く方であることも知っていました。

本書では、ことばから誤解が生まれる場面を7章に分けて説明しています。エッセイを書く者にとって特に気になるのは、2章から4章の部分です。

第2章 文法から生まれる誤解
文法が元で生まれる誤解として、次の例文が挙げられていました。
  刑事が自転車に乗って逃げる泥棒を追いかけた。
自転車に乗っているのは誰か。刑事か? 泥棒か? このあいまいさによる誤解を解くためには、語順を変える、もしくは読点を打つ方法があります。また、文を短く切ることで誤解がなくなる場合もあります。さまざまな引用文を例にあげて、説明は続きます。
助詞については、感覚で把握していましたが、わかりやすい解説を読み、きちんと理解することができました。特に、「を」と「に」の違いについては、必読です。

第3章 語義から生まれる誤解
語義、すなわちことばの意味から生まれる誤解の例として、「抜け目がない」ということばが出てきました。私は否定的な語感を受けますが、「よく気がつく」という意味で使う人もいるそうです。読み手と書き手が違う語感をもっていれば、そこに誤解が生まれます。辞書を引けば違うことに気づきますが、そもそも疑問を抱かなければ辞書を引かないでしょう。また、ことばの意味が変化していくこともあります。
ことばの意味はきちんと理解していても、ことばのさす範囲が人によって違う例も出てきました。たとえば、「ご飯」を「白米」と捉えるか、「食事」と捉えるかで、話はかみ合わなくなります。
そういえば、私は「数回」ということばに対して、いつも違和感を抱いています。数回とは何回くらいと思いますか? 私は「5、6回」と思います。人によっては、「2、3回」と捉えます。ちなみに、広辞苑には「少ない回数を漠然という語」と載っていました。これでは誤解が生まれるのも仕方ありませんね。
知らないうちに、文章の中で誤解が生まれていることを、改めて考えさせてくれる章です。

第4章 状況から生まれる誤解
ことばの置かれた状況によっても誤解が生まれます。たとえば、指示詞「これ」や「それ」が何をさすか。必ずしも、直前の部分をさすとは言い切れず、指示詞のさすものを誤解してしまうおそれがあります。
親族関係の呼び方も、視点が変わることによって変化します。主語が省略された文章でも誤解が生まれます。書き手が想像もしなかった誤解が生まれている可能性があるのです。

本書の「はじめに」で、飯間氏は述べています。ことばというものは、本質的にあいまい性を含むため、ことばから誤解が生まれるのは避けられない。ただ、ことばの誤解のしくみを知っておけば、それに対処することはできると。
エッセイにおいても、誤解を生まない文章を書きたいものです。

*本書を読んでいるときに生まれたエッセイが、今月のエッセイに載せた『今年こそ会いましょう』です。こちらも合わせてお読みください。