忖度しません

『忖度しません』(斎藤美奈子著 筑摩書房 2020年9月20日発行)をご紹介します。

今、私たちはコロナ禍で我慢を強いられています。やりたいことが自由にできない。友人と食事しながらおしゃべりもできない。海外旅行どころか、国内旅行もなかなか自由に行かれない。それらは、今まではエッセイの題材になったり、発想のヒントにもなっていました。ステイホームしながらエッセイの題材を探すには……と考えているとき、「本」について書かれたこんな本に出合いました。

ひとつのテーマに沿って3冊の本を選び、それを読んで考えたことが42編収められている本です。著者の斎藤美奈子氏は2006年から「世の中ラボ」というタイトルで、「社会時評と書評のあいだを行くような連載」(あとがきより)をしており、本書はその連載をまとめた本として3冊目にあたるそうです。
テーマは、多岐に渡ります。「新型コロナウイルス」「認知症を扱った小説」「夫婦のコミュニケーション」「LGBT」「源氏物語」、その他半分は政治や歴史がテーマです。筆者の目で本を読み解き、本から得られる知識を現実社会に当てはめて整理し、(忖度なく)かみ砕いて読者に教えてくれます。

「認知症が『文学』になるとき」では、過去の小説として『恍惚の人』などをあげた後、21世紀の認知症文学として3冊、『認知の母にキッスされ』(ねじめ正一)、『長いお別れ』(中島京子)、『徘徊タクシー』(坂口恭平)を紹介します。介護保険制度が導入されてからは家族に精神的なゆとりが生まれ、認知症者の発する言葉を独特なユーモアとして家族は受け止められるようになった。『恍惚の人』の時代の悲惨なだけだった認知症文学とはそこが大きく異なる。介護の担い手も、妻や子から、『徘徊タクシー』では孫・曾孫世代が登場し、彼らの新しい視点は介護する家族を救う。もちろん現実はそれほど甘くないが、文学は明るい希望をもたらしてくれると、分析します。

斎藤氏の肩書は文芸評論家であり、この本は評論という括りになるのでしょう。自身の思い出や経験が出てくる箇所もありますが、身の回り雑記のエッセイとはまったく異なります。とはいえ、斎藤氏ならではの切り口で、考えが書き込まれた文章です。自身が本を選び、紹介しながら、今生きている時代を考えるその文章は、エッセイと呼んでもいいのではないでしょうか。エッセイは「自由な形式で書かれた、思索性をもつ散文」(広辞苑より)であり、本書はまさに、「思索性」に富んだ散文といえるのではないかしら。本書を読みながら、そんなことを考えました。

エッセイという括りに当てはめたとしても、こういう内容はそうやすやすと書けるものではありません。
紹介する本を3冊に絞るまでには、斎藤氏はもちろんそれ以上の本を読んでいることでしょう。選んだ3冊を読み込み、比較分析し、それを4500字にまとめる。テーマは多岐に渡り、政治・経済・歴史など、どのテーマにも鋭く切り込む。時には皮肉も込めて。もともとの知識量と読解力がないとできない。それを生業としているとはいえ、すごいと感心するしかありません。

しかし、本書を読んでいると、こういうエッセイもおもしろそうに思えてきました。自分の扱いやすいテーマを選び、3冊とは言わず2冊でもいいから本を選び(これまで読んできた本から共通テーマを見つけてもいいでしょう)、自分と本をつなげてみたら、これまでにないエッセイが書けるのではないでしょうか。家にいる時間が長い今なら、こんな書き方も試してみたい、そう思わせてくれる本でした。

*いろいろなジャンルの本を取り上げているので、読む本を探している人のお役にも立ちそうですよ。