「分かりやすい文章」の技術
「『分かりやすい文章』の技術」(藤沢晃治著 講談社ブルーバックス 2004年5月発行)をご紹介します。
「分かりやすいエッセイを書きましょう」
「一読しただけで、すっと分かります。いいエッセイですね」
このように言われたことはありませんか。
「分かりやすい」は趣味で書かれたエッセイにとってキーワードだと思います。有名作家が書いた作品ならともかく、無名の作家のエッセイは最後まで読んでもらうことに、まずハードルがあります。個人やグループがまとめたエッセイ集を、最後まで読めなかった経験はありませんか? 理解しにくいエッセイは、途中で放り出されてしまう可能性があります。
では、「分かりやすい」とは、どういう状態を指しているのでしょうか。そもそも、「分かる」とはどういうことなのか。ふと疑問に感じたときに出合ったのが本書です。
私の疑問への答えが第2章に書かれていました。要約でご紹介します。
認知心理学という学問において、外界からの情報が最初に処理される場所を短期記憶、情報が最終的にしまわれる場所を長期記憶と呼ぶ。
短期記憶は、一時的に情報が通過するだけで、記憶を保持できる時間は秒単位、記憶できる情報のサイズも小さく、文字にして10文字程度。長期記憶は様々な項目に分かれていて、そこでほぼ永遠に情報は保存される。
短期記憶は、新しい情報が入ると、長期記憶のいくつもの項目の中から、同じような意味内容を持つ項目を探し出し、そこに情報を送り込む。
長期記憶に収まるのが「分かる」ということ。
短期記憶での分析作業が簡単に短時間で終わると「分かりやすい」と感じる。
「分かりやすい文章」とは、この短期記憶で行われる作業を、書き手が事前に代行処理し、読み手側の作業負担を軽くしてあげた文章のことだと説明しています。「1つの文の長さを短くする」ことが推奨されるのは、この作業負担を軽くする、ということなのです。大きな分厚いステーキはそのままでは食べにくいけれど、はじめから一口サイズにカットしてあれば早く食べられる。それと同じ原理なのだそうです。こういう比喩を使うのも、スピーディな作業処理に役立つとか。
この「分かる」仕組みが分かって私としては大満足でしたが、本書の本来の目的は、書き手側がどのような代行処理を行えばよいか、そのテクニックの紹介です。第3章以降に18のテクニックが具体的に述べられています。
ただし、本書が何度も言及しているのは、このテクニックは実務文の書き方についてであり、芸術文は違うということです。実務文は意見や情報を伝えることが目的で、書き手の意図が分かりやすく伝わる必要がある。小説やエッセイなどの芸術文は味わうもので、最後まで読まなければ何を言いたいのかわからない、そういう文でもいい。だから、本書で言わんとするテクニックは、すべて実務文に関するものだと言うのです。
しかし、冒頭にも書いたとおり、エッセイにも分かりやすさは必要です。実務文ほど厳密に求めることはないとしても、エッセイにおいても、最後まで読んでもらえるように「分かりやすさ」を追求する努力はすべきだと思います。
そういう目で18のテクニックを読むと、エッセイにも当てはまる箇所がいくつも見つかりました。
第5章のテクニック9では、読み手と書き手の知識の違いを意識し、読み手の知識レベルに合わせて書くようにと説明しています。エッセイでも同じです。書き手は自分自身についてよく知っていますが、読み手は書き手のことを何も知りません。読み手の知識に合わせて、情報を出していく必要があります。
第6章のテクニック12~14に書かれている、「一文を短くする」「読点で、文をあらかじめ分解しておく」「修飾語を的確な場所に置き、曖昧さをなくす」「代名詞の指す先をはっきりさせる」などは、そのままエッセイの書き方に当てはまります。
第7章では推敲をする際のチェック項目に触れ、テクニック16では「無駄な語を削る」観点からの具体的な方法を示します。「過剰な修飾語」「不要な接続詞」「無意味な語尾」などは、エッセイでも注意したいところです。
実務文とエッセイとの一番の相違点は、実務文は最初に「何がいいたいのか?」をはっきりさせる点でしょう。文章全体でもそうですし、段落ごとでも、最初にまず要点を書くと分かりやすい文章になります。エッセイでは、読み手を引き付けるために、あえて、何が始まるのかを途中まで見せないこともありますね。最後になってやっと種明かしすることもあります。
「分かる」とはどういうことか? という問いから手に取った本書。第1刷は2004年発行、書店で見つけたのは、2020年12年発行の第23刷でした。「定番ロングセラーシリーズ 65万部突破」と、本の帯に書かれていいました。「分かりやすい文章」をどう書くかは、多くの人にとっての悩みなのですね。