アマチュアのエッセイスト

あるエッセイ教室の仲間と一緒に南インドを旅行しました。2年前のことです。その後、旅行についてのエッセイは教室で発表し、互いに読み合いました。
最近になって、せっかくだから、それらのエッセイと写真も併せて旅行記にまとめようという話が持ち上がりました。
すでに書かれた作品は、旅行全般を書いたもの、食べ物について、人間から見えてきたこと、象の飼育地の訪問記などと、多岐に渡っていました。しかし、それらをまとめるうちに、アーユルヴェーダの体験についてのエッセイもぜひ欲しいとなって、私にそのお役目が回ってきました。

インド医学アーユルヴェーダの考え方に基づく食事やオイルトリートメントは、日本ではなかなか体験できない、興味深いことばかりでした。ところが、困ったことに、エッセイの構想がまったく浮かびません。こういうことを体験した、学んだ、知った、というだけなら書けるのですが、書きたい「何か」が心に沸いてこないのです。
前日に訪れた、地元の人が通うマーケットについてなら、土産物を売る若者たちの場面をこのように書こうとすぐに構想が浮かびました。今回は仲間内という甘えもあり、わがままを言って、アーユルヴェーダではなくマーケットについて書かせてもらうことにしました。

このとき、私は実感しました。私は趣味でエッセイを書くアマチュアなのだなと。ここが、プロのエッセイストとの大きな違いでしょう。プロであれば、執筆の注文がきたら、たとえ気乗りしないテーマであっても、なんとか絞り出して、質の高いエッセイを仕上げるはずです。断ったりしたら、その後の仕事にも影響が及ぶでしょうから。

さて、アーユルヴェーダについて、なぜ構想が浮かばなかったのか。それは、エッセイに書き残したいと思う「何か」を、私が感じられなかったからです。
「何か」とは、何でしょうか。
強く心に残った情景、はじめて体験したこと、今までにない気づき、心に響いたセリフ。それらがあったとしても、書き残しておきたいと思う「衝動」。衝動というと少々大げさであれば、「動機」。それが、必要だと思うのです。そして、同じ体験をしても、その動機を感じるかどうかは人それぞれ。人によって感じ方は違います。

仮にその動機が心に生じなくても、もちろん書くことはできます。しかし、読み手の心に何かを残す作品、読み手がおもしろいと思う作品は、生まれにくいのではないでしょうか。
アマチュアだからこそ、その動機を大切にしたいと思っています。