2年間のコロナ禍がもたらしたもの
2022年3月のエッセイ教室でのこと。違う教室に通う3名から、次のような悩みを聞きました。
〇Aさん
おもしろいと思えるエッセイを書けなくなった。エッセイを書いていて楽しいと感じられなくなった。1月も2月も、そのせいでエッセイが書けなかった。
〇Bさん
エッセイを書こうとしたが、どんどん暗く後ろ向きな内容になっていき、軌道修正できず、書き上げるのをあきらめた。
〇Cさん
書いているうちにだんだん暗い話になってしまったが、これでは読み手が読みたくないだろうと思い、なんとか明るい方向に持っていった。
違う教室に通うこの3人が口を揃えて、「コロナ禍が2年も続き、気持ちがどんより暗く重くなっている」と言うのです。3人の共通点は、一人暮らし。家族と離れて暮らしています。最近の生活について話を聞くと、
行く場所と言えば、職場と自宅しかない。
家族や友達と会う機会がほとんどない。
旅行もしていない。
これを楽しみに頑張ろうと思う「これ」がない。
エッセイのネタに出合う場がない。
と言います。
新型コロナウイルスの感染が騒がれ出したころは、未知なる敵と闘うべく、日本中が同じ方向を見ていたと思います。ところが、それが2年も続き、人々の感じ方が一律ではなくなりました。
職業によっては、今もなお感染に人一倍気を遣わなければならず、職場と家の往復だけの生活を余儀なくされます。さらに一人暮らしであれば、人との触れ合いのチャンスも少ない。
一方では、習い事やスポーツジムに行き(もちろん感染対策をしてですが)、家族と暮らして、感染の波の合間を縫って旅行にもして、という人もいます。
前者に属する3人の、よけいに暗く重くなる気持ちが、わかるような気がします。
エッセイには、書くことで、客観的に自分を見つめ直すことができ、心のなかが整理されるという効果があります。書くことが心のリハビリになる。そう思っていました。
ところが、2年にわたるこのコロナ禍は、想像以上に重く人の心にのしかかっていて、書く手を止めてしまう場合もあるのですね。
エッセイ教室で、そのような思いを口に出してもらい、仲間と共有することができました。書けなくても、話すことで、少しでも心のリハビリができればいい。エッセイを書くための教室ではありますが、時にはそういう場であってもいいと思いました。