ここだけのエッセイ
エッセイ教室に提出する作品は、一般の読者を想定して書きます。読み手はいつもの教室の仲間ですが、はじめてその作品を読んだ人にも状況がわかるように仕上げます。
たとえば、転勤で暮らした外国でのことを続けて書くとします。教室の仲間はその背景を知っていますが、「〇年前、○○で暮らしていたときの話だ」というくだりを毎回必ず入れます。
その1編だけを読んでもわかるように書く。そう教わり、今もそのように伝えています。
とはいえ、はじめてその作品を読んだ人と、教室の仲間とでは、読み方がまったく違います。
長く教室に通っていると、エッセイを通じて、互いの深いところまで知るようになります。家族や交友関係のようなプライベートのことや、心の中で考えていることなど、ふだんのおしゃべりでは話さないようなことまで、互いを知ってしまうのです。作品には書かれていない事情まで自然と見えてきて、言外の心情に深く共感し、書き手の人生に寄り添って読むようになります。
ですから、教室では、新しく入ってきた人、すなわち事情や背景を知らずに読む人の感想や意見が大変重要です。
それとはまったく逆の話になりますが、自分を知ってくれている仲間だけに読んでもらいたいという場面も、実はあるのです。
・まだ渦中にあって、一般の読者を想定した作品までは書けないが、とりあえず書いておきたい。
・多くの人に読んでもらうつもりのない事柄だが、「書く」ことで整理したい
そういうときに、長年の仲間に「ここだけのエッセイですけど、お願いします」という断りと共に読んでもらうことがあります。
「書く」ためには、時系列を整理しなくてはならないし、客観的に見ることにもつながる。 受けた印象が新しいうちに記録しておきたい気持ちもある。 他人に読んでもらうと思うから、少しの自制心も加わる。そして、この仲間ならという安心感があるから、書けるのです。
ここだけのエッセイは、時間が経過して、多くの人に見せるエッセイに書き直されることも、そのとき限りの作品として終わる場合もあります。 後者のほうが多いかもしれません。