書かないと来られない?

「このエッセイ教室が好きだし、仲間と会いたいから、教室に来たいのですが、やはり、エッセイを書いてこないといけないですよね? ここに来るために、毎月、一生懸命書いてます」
これは、あるエッセイ教室の生徒さんの言葉です。
毎月の教室では、それぞれが1編のエッセイを持ち寄り、互いに読み合い、合評します。「書いたエッセイを持ってきて参加する」というのが前提です。

毎月毎月、エッセイを書くというのは、たやすいことではありません。仕事が忙しいこともあります。プライベートな理由で余裕がないこともあります。書くことが思いつかなくて、エッセイが書けないこともあるでしょう。プロではないのですから、書かなかったからどうなるということもありません。
何も書けなかったけれど、教室には参加したいと思う方がいて当然です。私もその気持ちはよくわかります。

ですから、「書けなかったら来てはいけません」などと厳しいことは言えません。
手ぶらで来るときがあってもいいです。ただ、それが何回も続かないように、とはお願いしたい。新しいものが書けないときは、以前書いたものを推敲するなどの努力も試してくださいと伝えます。世の中が忙しい12月には、エッセイが書けなければ、好きなエッセイを1編もってきて紹介してください、という代替案を出したこともあります。

以前の教室で、最初の何回かは書いてきたけれど、その後まったく書かないで参加する人がいました。その人は文章を読む力はあるのでしょう、他の作品に対しては、厳しい意見を言うのです。趣味で書くエッセイの合評には、「お互い様」の関係があると思います。自分のことは棚に上げて相手の作品について意見するけれど、自分も意見される側に立つことで、互いのバランスが取れているのです。ですから、「自分の作品は出さないが、意見は言う」が長く続くと、なんとなく関係性がぎくしゃくしてしまいます。結局、その方は、教室を辞めていきました。

というわけで、質問されたら、「書かずに来てもいいですよ、時々なら」と答えることにしています。