夏休みの絵日記

 実家の整理をしていたら、屋根裏の収納スペースの奥から古い段ボール箱が出てきた。箱の横に私の名前と「幼稚園・小学校低学年」と書かれている。一番奥に押し込まれたまま、忘れ去られていたようだ。
 何が入っているのか。ほこりまみれの箱をおそるおそる開ける。幼稚園のときにクレヨンで描いた絵、小学校でのノートや絵日記、学校からの手紙。50年以上前の紙は茶色に変色している。箱の中にもほこりが入り込み、手が真っ黒になる。でも、せっかく残っていたのだからと、ひとつずつ手に取ってめくってみた。
 学校での出来事を書いた生活ノート。漢字の練習帳。読書ノートには本のあらすじと感想。どれも枡目いっぱいに、しかもていねいに書かれている。
 夏休みの絵日記は見ていて楽しかった。8月最後になって慌てるタイプではなかったようで、夏休み初日の7月21日から始まっている。朝6時20分に起きて、ラジオ体操に行った。体操をしている子どもたちが15人もクレヨンで描かれていた。
 映画を見に行った、家で花火をした、学校のプールに通ったなどが、2、3日おきに書かれている。毎日は書いていない。
 そのかわり、一泊の海水浴は「その7」まで続く。行きの電車、海の家のようす、海で泳いだこと、夜の花火、その後のトランプ、スイカ割り、帰りのフェリー。書きたいことがたくさんあって、7枚になってしまったのだろう。
 詩作に励んだ日もあれば、色紙を切り貼りして絵にした日もある。8月31日はネタ切れだったのか、「なつのおたより」という題で、担任の先生やクラスメートからの葉書が貼ってある。いろいろな工夫をしながら、楽しんで書いている。

 私の母は、戦争によって思い出となる物がすべて失われてしまったと、いつも残念がっていた。それに対して、私自身はあまり物に執着しないので、母の気持ちを今一つ理解できないでいた。
 しかし、実際に自分が書いた物を見ていたら、不思議な気分になった。私の小さな分身の中に入り込んだ感覚になった。外で遊ぶよりも、絵や文字を書くことが好きだった。親にお風呂に入りなさいと言われても聞かずに、ずっと机に向かって、鉛筆を動かしていた。その小さな女の子に戻っていた。幼いころの写真を見るのとはまったく違う感覚を味わった。
 屋根裏の奥に忘れ去られていたこの段ボール箱は、私が忘れていただけで、母がずっと保管しておいてくれたのだと気づいた。