「嫁ぐ」という表現

あるエッセイに、こういうくだりがありました。
「アメリカ人に嫁いだ娘とは、ここ数年会っていない」

私が気になったのは、「嫁ぐ」という表現です。相手の家に入る、という意味合いの強い言葉です。戦前の家制度下の話ならともかく、最近のことを書いたエッセイにおいては、「娘が嫁いだ」という言い方はあまり見かけません。「娘が結婚した」と書くのが、現代の感覚に合っているのではないかと感じます。

ましてや、娘の結婚相手が外国人であれば、「アメリカ人と結婚した娘」と書くほうが自然ではないでしょうか。なぜ「嫁ぐ」という表現を使ったのか、筆者に聞いてみました。

「娘は相手の国で挙式しました。そのとき、相手側の家族がたくさん出席していて、私は何を話しているか言葉もよくわからず、娘を相手の家に取られたような気がしてしまいました。それで、『嫁いだ』という言葉が自然に出てきたのだと思います」
筆者本人は、なぜ「嫁ぐ」という言葉について尋ねられたのか、ピンとこないようでした。

筆者の思いを聞いてみれば、そのエッセイにおいては「嫁ぐ」という表現が大きな意味をもっていることがわかります。ぜひここでは「嫁ぐ」を使ってほしい。けれども、その筆者の思いが読者に伝わらないと、「嫁ぐ」という言葉に違和感が残ってしまいます。むずかしいものですね。ひと言、その結婚に対する思いを書き加えるという方法も考えてほしいと思いました。

作品の合評をする際に、「嫁ぐという表現はあまり使わないですよ」と、決めつけたような意見を述べてはいけないと、強く感じました。言葉に対して敏感であると同時に、その言葉を使うに至った筆者の思いにも敏感でいたいものです。

「嫁」という漢字については、以前の「今月の話題」で「配偶者のことを、エッセイではどう書きますか?」において、「息子の妻」の呼び方の悩みを書きました。女性の筆者には「嫁」という言葉を敬遠する気持ちが強く、「息子の妻」を語るときの苦労をよく耳にします。ご興味ありましたら、ぜひこちらの記事もお読みください。