ペンネーム
エッセイを書く際にペンネームは必要でしょうか。
私が長いこと参加しているエッセイグループでは、みな本名でエッセイを書いています。エッセイは実際にあったことを書くものだから、本名を使ったほうがいいと、グループに参加したころに教わりました。なんの疑いも持たず実名を使い、現在に至ります。
ペンネームにしたいと思ったこともありますが、もしそうするなら、書き始めてからなるべく早い時点ですべきでした。20年以上もたってから違う名前で書くというのは現実的ではないので。
エッセイは「実際に起きたことを書く」のが大前提です。ペンネームを使って「自分とは別の人間になって書く」と、矛盾が生ずるのでしょうか。
エッセイには「私」を書くことは必要ですが、「書いている自分」と「書かれている自分」の間に距離を置くこと、つまり自分を客観的に見ることも必要であると言います。そうであれば、ペンネームを持つ、もう一人の自分が書き手であることに、特に矛盾も問題もないと思います。
実は一度だけ、ペンネームを使ったことがあります。ある小さなグループの作品集に一度作品を載せたときのことです。そのグループでは、ペンネームを作ったほうが楽しそうと、普段から全員が本名を使わずに作品を書いていました。
その時に感じたのは、まず、ペンネームを考える楽しさです。そういえば、本名は親が付けてくれたもの。自分で考えれば、好きな漢字やあこがれていた名前を付けることができます。苗字と名前がバランスよくなるように、本名も少し残そうかとか、あれこれ考える時間をまず楽しみました。
ペンネームにしたからといって、まったくの別人になり、急に文章がスラスラ書けるわけではありません。しかし、いつもの自分から抜け出して、ちょっぴり文筆家気分になって書くというのは楽しい経験でした。
最近は、個人情報を守る意味でペンネームを使う人が多いようです。エッセイ教室の参加者のなかにも、次のような理由でペンネームを使っている人がいます。
・作品集は、教室外の人の目に触れるから
・毎月の教室のエッセイも、コピーして綴りになったものが各自に渡されるので、ペンネームのほうが安心
・エッセイを書いていることを、他の人に知られたくないから
ペンネームは、エッセイに登場する家族や知人の個人情報を守る働きもあります。匿名で書かれていても、今の時代、書き手との関係性で本人を特定される可能性もあります。ペンネームを使うことが解決策になることもあるでしょう。
話は少し逸れますが、こうした家族や知人の個人情報については、あまり考えすぎると、エッセイに書く内容が狭くなってしまいますし、感じたことを自由に書けなくなりそうです。本や作品集などにして発表する際には、一度立ち止まって見直すことにして、いつも書くエッセイにおいては少し緩く考えてもいいのではないでしょうか。これは、私自身がエッセイの本を出版して感じたことです。