書けない人はいない(続・何を書いたらいいか、わからない)
以前の「今月の話題」で、エッセイ教室に入ったばかりの方のお悩みについて触れたことがあります。「何を書いたらいいかわからない、書いてみても600字くらいしか書けない」という悩みです(「何を書いたらいいか、わからない」をご参照ください)。
そのときは、「時間がかかっても、いつの間にか、書きたいことを見つけてエッセイを書けるようになります」とお伝えしました。今回さらにお伝えしたいのは、「今は書きたいことを見つけられていないだけで、書けない人はいない」ということです。
私のエッセイ集『あの日のスケッチ』を読んだ方々から、感想を綴った手紙をいただきました。そのなかに、「ふだん文章を書かないので、お手紙で感想を書くのは恥ずかしいのですが」と前置きのある手紙がありました。ところが、恥ずかしいどころか、伝えたいことが私の胸にすーっと入ってくる、おじょうずな文章なのです。しかも、お1人だけではなく、何人もの方からそういうお手紙をいただきました。そして気づきました。「書けない人はいない」のだと。
もともと、ある程度書ける人だから手紙を書いたのではないか?という反論に対しては、こう付け加えましょう。
思い返すと、感想文というものは、小学校時代に一番書きにくい文章でした。特に、与えられた課題図書があまり興味ない内容のときには苦労しました。
今回の手紙は、「私に伝えたい何か」があったから、文章から遠ざかっている方が書いた手紙でも私の心に届いたのでしょう。ですから「書きたいことがあれば、書けない人はいない」のです。
気の乗らないことについて「書きなさい」と言われてもペンは進みませんが、これを伝えたい、このことを書いておきたい、という「何か」があれば、文章を書くことはむずかしくありません。
エッセイ教室に通い出して1年ほどのDさんは、「香り」というテーマを出したときに、一度に3編も書き上げました。それまでは、何を書こうか、いつも悩んでいた方です。3編書いた理由を尋ねると、
「香りにちなんだ思い出を見つけて書いていたら、あ、あれも書いてみたい、あ、こんなこともあったと、いろいろ思い出して、つい3作も書いてしまいました。こうやって、いろいろなことを思い出すのって楽しいですね。エッセイを書く楽しさがわかってきました」
と、嬉しそうに語ってくれました。(注:通常の教室では1人1編の提出ですが、この教室は人数が少ないので、書けたら何編提出してもいいことになっています)
Dさんは、エッセイ教室で毎月作品を書いているうちに、その「何か」の見つけ方を少しずつ習得していったのでしょう。「何か」は、各自の心の中にあるものなので、自分で見つけ出すしかありません。講師にできることといえば、「何か」を見つけ出しやすいテーマを考えることくらいです。
何を書いたらいいかわからない方へ。今すぐには書きたいことを見つけられなくても、毎月エッセイを書くことで、「何か」の見つけ方が見えてくるはずです。「文章を書けない人はいない」ことを信じて、もうしばらく書き続けてみてください。